死者の日 命を大事に想う

11月6日(金)晴れ
『どんな背に倣うのかは、あなたが選んでいける。』実祝プランニング語録
召された故人を偲ぶ時が、表面上の形式になったり、ご馳走を食べて故人を偲ぶ事とは全く関係のない話ばかりする時間になるのなら、悲しい。
もし、あなたが死んだ後、ゴーストになって、姿は皆に見えないがその場所にいたら、どんな気持ちになるかを考えると理解できるはず。
今でも殉教者達はいる。聖書を持っているというだけで、牢屋に入れられ拷問にかけられる人達もいるのだ。
カトリック、プロテスタントを問わず殉教者達は大勢いた。しかし、夏の怖いお話しにあるように、そういう殉教者達が恨みをもって化けて出て悪さをしたという話を、私は聴いたことがない。
召された殉教者が姿を現しても、その時は、弱っている人を励ましたり、慰めたり、危険から救ったりという話は聴いたことがある。これこそ彼らが、心をどこに向けていたか、どこに希望と愛を置いていたかが、殉教してもはっきり証明される。そういう殉教者達の死を尊ぶ日でもあるのだろう。殉教者達は、お金も豪華な物も名誉も、何も持たずに召された人が多い。その方々が信仰を貫いた愛のゆえ、多くの信仰者達の今があるのだ。
残念なことに、今はそういう聖職者が少なくなっているように思う。神に自分を捧げると口では言っても、行動の中にいつも『自分』が生きている方もおられる。多分どんな仕事でも人が育って行くというのは、『背』に倣ってしまう。だったら、素晴らしい故人達の姿に倣って、歩く努力をしたらいい。姿は見えなくても、善に対しては大きな存在の介添えが必ずあるのだから。
続きは、明日のお楽しみ・・・。Coryright2009 実祝プランニング☆☆☆☆☆☆☆09’9月25~27日までのブログでパシフィック・ユニオンの学生達が、一生の力となり続けた、詩篇34篇の言葉。長いので、少しずつ、簡単な説明とともに、紹介させていただく。新改訳聖書引用。
その38 ・詩篇34篇『22節・前半・主はそのしもべのたましいを贖い出される。』原語で、しもべとは、ある者のために働く、仕える者と訳される。魂は息、命、存在そのものを示す。贖うとは人にとって最も大事な魂を代価を払って買い戻すこと。イエス・キリストの十字架の死が人間の救いのために贖いの代価である。

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