乗り越える励ましと正しい目

11月24日(木)
『理不尽な事も正しい事も大きな存在は見ている。』実祝プランニング語録

最近、詩篇の86編を紹介しているが、これは、この厳しい時代に、少しでも、実際にあったお話として、お互い生きる力を頂きたいからだ。

人を本当に励ませる人、助けることが出来るのは、肩書きや立場があるからではない。

同じような苦労を乗り越えた人こそ、理解が深くなり、何も言わなくても励ませる『オーラ』のようなものを持っている。

机上の空論ではないからだ。

この詩は実在したダビデという王(BC.1000)が自分が仕えていたサウル王からは妬み嫉みから命を狙われ、

自分の息子からも裏切られ身の危険を感じさせられた、そのような苦悩の中から生まれた詩である。

他にも親鸞やブッダ、空海など仏教でも類似する言葉はあるだろう。
が、私はその辺に詳しくないので、その角度は仏教に詳しい方にお任せしたい。

昨日まで紹介した『イゾベル・クーン』は失恋の痛手から自殺しようとしていた。その死への階段を引き返すよう促してくれたのが、彼女にとっては「祈り」であり、聖書の言葉だった。

一生懸命何かを、それこそボランティアで尽くしたとしても、人としてではなく「物」のように扱われたり、「無き者」のように扱われたりすることがある。

悲しいかな聖職者と呼ばれる人がそれを行う事も実際あるという。

また事実でない嘘を肩書きを持った人達がご自分の都合の欲と悪いことを隠す保身の手段として撒き散らす事は実際に起こってくる。

本当に悔しいだろう。
しかし、やるせない怒りや悔しさを、そこで自分に対して刃を向ける事はしてはいけない。

それは、自分で自分を死なせてしまうことだからだ。

『それは、あなたの恵みが私に対して大きく、あなたが私のたましいを、よみの深みから救いだしてくださったからです。詩篇86:13』

大きな存在からのあなたへの愛情ははかり知れないほど素晴らしい。

理不尽な思いを味わっても、大きな存在は、それを必ず見ている。
そして助けられる!

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