セネカの素敵な言葉 その8

4月12日(月)雨
『苦しい時の具体的な援助は、生涯に残る善。』実祝プランニング語録
セネカは20年頃、大病を患い、自殺まで考えた。その病気の本格的療養に手を差しのべてくれたのが、母の妹の夫でエジプトにいた、アエギュプトゥス総督のガレリウス。
31年にはガレリウスの総督の任期が終了し、ローマへ船で帰還する。
この11年ほどは、セネカは義理の叔父のガレリウスにとても世話になったはずだ。
学問や思想も学び、様々な場へも見学に行かせてもらった。
食事も身の回りの物も整え、病気の治療に、良い医者もつけてくれただろう。
ところが、この船でのローマへの帰還中に、ガレリウスは船の上で病気で亡くなってしまう。
この後のセネカを、ガレリウスが応援する予定だった。
しかし。ガレリススの妻であり、セネカと血縁関係にある、叔母が今度はセネカを応援した。
セネカが、人間としても、学問の面でも優秀と見たからであろう。他にもセネカが濡れ衣で殺されそうになったときも、様々な人達が助けている。
それらに対し、感謝を忘れなかった。セネカはこのような言葉を残している。
「恩恵を施す者はそれを隠せ、恩恵をうくる者は、それを公にせよ。セネカ」
セネカは優秀な人物であったし、善を実行する教えのストア派の哲学者でもあった。
勿論完全ではない。けれど、潔さを持った人物であった。
62年に政界を引退してからは、「神慮について」や「善行について」を書き上げている。
ネロの残忍さにも屈せず、自害を受け入れた。ネロはいつまで経っても、自分の評判と権力、名声しか考えられない人物だったようだ。しかしまた、優しい仮面を被って、残忍な事をしていることすら気付かない人も、存在しているようだ。『私は曲がったわざを憎みます。聖書詩篇101:3』 
明日もお楽しみに! ★★★Copyright2010実祝プランニング※アダルト的内容とは一切関係がないのでそのようなコメント及び不適切なものは遠慮をさせて頂きたくお願いいたします。

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