クリスマスの12日の9日目
2010年1月3日(日)晴れ
『クリスマスに天から贈られた贈り物は信仰によって今も生きている。』実祝プランニング語録
{クリスマスの12日の9日目、愛するあのひとがくれたのは9人の踊る貴婦人、・・・・・。} 1日目=イエス・キリスト。2日目=旧約・新約の2冊の聖書。3日目=信仰・希望・愛。4日目=新約聖書の4つの福音書の著者マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ。5日目=旧約聖書の最初の5巻モーセ5書。6日目=神の『天地創造の6日間』。7日目=聖霊の7つの賜物(預言、奉仕、教え、勧め、分け与え、指導、慈善)8日目=『山上の垂訓・8つの幸いな人)』9日目の9人の踊る貴婦人とは、『聖霊の9つの果実』パウロがガラテヤの諸教会に宛てた手紙、ガラテヤ書の5:22~23に記され、キリスト者に対する勧告でもある。自己中心な(聖書が言う肉の行い)と鋭く対照的である。
1つめの実⇒愛=神に対する愛。クリスマスに降誕されたイエス・キリストの救いを体験するなら、神への愛は大きく育ち、神と人への愛として祈りの中に、行いの中に姿を現す。 2つめの実⇒喜び=神の救いのあわれみ、祝福、恵みに対し、それらが本当に理解出来ていたなら、心身ともに沸き立つような感謝が起き神にある喜びが沸く。 3つめの実⇒平安=喜びに呼応したとき、喜びが根を張った安心が起こる。状況がどのようであっても、信仰による神の平和に覆われ心の穏やかさを味わう。 4つめの実⇒寛容=ここでの寛容は忍耐に裏打ちされたもの。神は私たちにどんな忍耐を持たれたのか。神の聖徒と呼ばれた者たちは、迫害も貧しさも侮辱も恐れず、殉教にあっても喜びと祈りをもって召されていった。聖書の使徒7:55~60にはステパノがその背を示している。 5つめの実⇒親切=慈善、善、優しさ。他者にあわれみの思いをもって、善を行う。自分が優位に立つのでもない。人を欺いた表面上の善は善ではない。神が望む心を土台とした善。 6つめの実⇒善意=本当の善意があれば、積極的に他者に善を喜んで行える。自己中心的な(アドベントに出てきたがパリサイ人的な表面上の)善は善の逆説といわれる。消極的な半端な善はそこに自己利の心が働く。積極的な善は人を裏切らず、平和と喜びの結果を招く。 7つめの実⇒誠実=本当の信仰が生み出す性質。神を信頼し、神のために自分をささげ、継続した神への忠誠が日常に表れる。 8つめの実⇒柔和=キリストが十字架にかかられる前、かかられたとき、ご自分を裏切る者、ののしる者たちに柔和なあわれみを示された。ユダが裏切った時、ペテロが大祭司の僕の耳を切った。キリストはそれを癒された。 9つめの実⇒自制=節制、寛大。自分の心身を神から賜ったものと自覚する人は、飲食、行い、心において制御できる。他者への寛大さがあれば、悪や人為的な事故、事件、裏切りは減っていく。続きは明日のお楽しみ・・・Copyright2009 実祝プランニング★★★★★★★★★ 『み使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。」ルカ2:10』降誕によってもたらされた多くの賜物が今も贈られている。