ストレス解消法は自分との対峙
12月17日(火)
『本当の大人は人を喜ばせる力を持つ。』実祝プランニング語録
ストレス解消法には、それぞれやり方があるとは思う。
しかし、健全な解消法は、やっぱりアナログにいきつくように思う。
近所の独身の女性は、アウトドア派。
夜や休みの日には、ラケットボールを打ちにいっている。
この間もラケットを持っていたので「元気ですね。」と声をかけると
「これが私のストレス解消よ。」と。
彼女は特に冬には連休や休みが取れると、スキーに出かけている。
車も雪道を走りやすいタイプのものに買い換えている。
またお隣の方は、ピアノを習っておられる。
しかし、最近は、SNSやらネットでストレスや怒りを他者を傷つけたり、中傷したりすることで発散させている人が増えている。
悲しいことだ。
中学生、高校生ともなれば、少し目立ったから癪にさわる。
自分より成績が良かったから、自分より可愛いから腹が立つということからネットでのいじめが深刻化している。
聞いた話だが、クラスで授業中、友達から回ってきたメモを次の子に渡すのが遅いなんていう理由でも、いじめの対象になってしまうとか。
ネットで直ぐにつながれると思い込み、何でも自分のスピードと都合に、
相手は合わせてくれて当然!などと錯覚してしまうから怒りがでる。
だから相手を思いやる心が隅に追いやられてしまうのか?
ネットは使い方によっては素晴らしいツール。
けれど、何かに、或いは誰かに流されるように、~をやらないと遅れをとるという宣伝に乗せられて、
ネットの上ばかりを追いかけていくのは危険。
軽いスポーツをするとか、クラシックの音楽を聴くとか、お風呂はいるとか、本を読むとか。
野菜のみじん切りをする人もいるし、サンドバックを叩く人もいるし、人に向けないで自分が向き合わないと。
いくらでも探せば見つかる。
またネット依存が心配されるが、最近は「プチ・ネット依存」の人が増えてしまった。
ネットが悪いということではない。
心を制御して、良い使い方、自分のライフスタイルに本当に役立つ使い方、
周囲に役立つ使い方をそれこそ、研究しないと。
人が傷つく事、悲しむ事での発散は、発散にはならない。
自分の中に、毒素を溜め込んでしまうだけだ。
人が喜ぶことをして嬉しいと感じる感性を育てていくこと、自分と対峙する勇気を育てることなどは、
大人への階段だ。
人を意図的に傷つけて得たものは、いずれ砂の城のように崩れる時がくるのではないかと思う。
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