純粋な使命は魂に通じる
9月19日(木)
『使命に純粋に向うとき、魂も高められる。』実祝プランニング語録
使命を全うする生きかたとは、釈迦の言葉を借りれば、「人々のため、社会のために、善き何かを実行していくこと。そのとき魂が高められていく。」
しかし、ここ数十年の間に起きた宗教家の、残念な事は多々ある。
最近も、どこかの牧師が、女性トイレを盗撮しようとして捕まったとニュースで流れていた。
これらは氷山の一角だろう。けれど宗教が悪いのではない。
宗教内部での肩書きを持っていたとしても、神を畏れる信仰からは離れているからだろう。
そこに、本気で宗教・神に向き合う神聖さや、宗教に関わる使命感が欠如しているからだ。
宗教の先におられる「神」「大きな存在」の前に、聖なること、愛なること、善なることを修行していく事を飛ばしているからだ。
最近ダライ・ラマの本を読んだが、ダライ・ラマは自分を律している。
こんな言葉があった。
「人間には、もともと備わっている よき資質があります。愛と慈悲のこころがそうです。他者を大切にいつくしみ、やさしく思いやる気持ちのことです。ダライ・ラマ」
使命とは大げさなことではなく、毎日、思いやりを持って他者を助けていくという積み重ねなのかもしれない。
今日も「大きな存在」から小さな事であっても「使命を果たしたね」と言われる歩みが出来たら幸いだ。
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