セネカの素敵な言葉 その5
4月9日(金)晴れ
『友達と呼べる人は、必要な時に本当の助けを持っている。』実祝プランニング語録
随分以前になるが、何かの雑誌の取材を受けていた女性が「私は洋服の数の多さと、友達の多さでは、誰にも負けない。」と。
それを目にして、私は考えてしまった。
彼女が友達と呼ぶ人達の中で、お互いが友達と思い、本当に支えあう、励ましあえる友達は何人いるのか?と。
セネカは友達についても、鋭い指摘をしている。
「どこでもと言うのは、どこででもないのです。その人生のすべてを外国への旅で過ごした人には、結局たくさんの知人はいても、友人と呼べる人はいないのです。」これはセネカ自身のことを含んでいると思う。
セネカは幼少期はコルドバで過ごし、12歳~13歳までの頃には両親と一緒に、ローマに移住している。
20年頃には、大病を患い、療養のために母の妹の主人、つまり義理の叔父を頼ってエジプトへ向う。
31年には叔父のガレリウスのアエギュプトゥス総督の任期終了に伴い、一緒にローマに帰還する。
41年以降は、政治的なゴタゴタから、コルシカへ事実上の追放刑となってしまう。
49年頃には、政情も変わって、コルシカから再びローマに帰還する。
ざっと10年ごとに、違う地へ移動している。
残虐なネロの統治や政治の上で、汚職やだましうちにもあった。その中で、知人は多くても、心を許せる友達はいなかったのかもしれない。神を肯定するセネカは、神の存在には心を許し祈っていたのだろう。
『ほむべきかな。日々、私たちのために、重荷をになわれる主。聖書詩篇68:19』 明日もお楽しみに! ★★★Copyright2010実祝プランニング※アダルト的内容とは一切関係がないのでそのようなコメント及び不適切なものは遠慮をさせて頂きたくお願いいたします。