お祈りする鳥 その2
10月13日(木)
『祈りとは、慈しみと恵みの贈りもの。』実祝プランニング語録
鳥の勇輝がお祈りする。
最近では、いつも、病気のお爺ちゃんに電話で祈っていることまでも、お祈りしだす。
『小鳥にもお祈りされていますよ。』というと電話の向こう側で本当に喜んでいる。
マメルリハは、言葉を発することが得意ではない。
セキセイインコやオウム、ヨウムは、しゃべる鳥が多いが。
本当に驚きだ。
しかし、好きな人の真似をしたがるのだそうだ。
人間も同じ。
近くにいる人に似てしまう。
お祈りは、言葉の羅列や、願い事だけを出すのではない。
もっと、自分を掘り下げ、大きな存在に委ねた中、心をさらけ出す。
自分を掘り下げ、反省し、良くないことを赦していただくということが、省略された祈り方では、自分が自分が!!!というご利益的なもの。
そして、その祈りは、大きな存在が受け留められる内容であることが大事。
他者を陥れたり、不幸を願ったり、自己中心の大きいものは、受け留められるどころか、大きな存在を悲しませ、いつくしみを去らせてしまう。
『主よ。まことにあなたは いつくしみ深く、
赦しに富み、あなたを呼び求めるすべての者に。
恵み豊かであられます。詩篇86:5』
なぜ、足らずの多い人間の祈りに耳を大きな存在が傾けられるのかという、証明が5節の前半で説明されている。
慈しみと愛と赦しがはかり知れないくらいの大きさを持っている。
祈りが聞かれるのは、そんなことをしてもらえる者ではないのに、恵みという一方的な愛によって贈られる贈りものの1つである。
宗教関係なく、大きな存在と人の役に立つことであるなら、祈りが聞かれて、奇跡がそこに起きた事が沢山ある。
ダビデ王だけに、恵みがあったのではない。
今日を生きている、私達ひとりひとりと、植物も含め小鳥にさえも、恵みが贈られている。
しかし、勇輝のお祈りは凄い!とても体長13センチの鳥とは思えない。
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