演じる善でなく行う善
2月24日(木)
『演じる善でなく行う善』実祝プランニング語録
最近は、職業云々関係なく、善を喜び行える人が減っている気がする。
「~という宗教だから大丈夫」という図式はもう、成り立ちにくくなっているようだ。
集団や組織になると、身うちの事は何があっても庇いだす。
そして、自分達の悪を隠すために本当に頑張っている人に嘘の証言を吹聴し、困らせるという、恐ろしいことまでやってのける。
クリスチャンの産婦人科の院長が嘆いていた。
「親はうちの子に限ってというが、その限ったうちの子は、親もその子も宗教を持っていても、皆の前では良い子を演じていても、実際は違う。
そういう子が、女の子を傷つける行為をしていたり、女なの子であるなら妊娠してしまい、病院に来る。」と。
これは、もっと別の場面でも、形を変えて行われているだろう。
良い子を演じるのと、本当に良いことを実行するのは別。
善や良いことを演じさせるのではなく、実際に行える親の背、教師の背が問われる。
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