聖・クリスト・フォルスのHAPPY その10
9月2日(水)晴れ
『人の目が届かなくとも、大きな存在の目は絶えず私たちを見つめている。』実祝プランニング語録
その後「クリスト・フォルス」は自分に与えられた仕事に戻り、天に帰るまで多くの旅人を助ける為に尽くした。
一生懸命行っても、機械的に行っても、脚光を浴びるわけではない。
しかし、クリスト・フォルスは、 『目に見えなくても存在し、いつも自分を見ておられる平和の君に仕えていることを忘れなかった。』クリスト・フォルスは、誰が見ていようが、いまいが、王である平和の君が傍に居られ、自分の仕事を見ておられることを知っていた。旅人を運ぶ仕事の、一期一会の出会いに、平和の君を運ぶごとくに心をこめて運んでいった。 『主があなたとともにおられる。聖書申命記31:8』
平和の君が、小さな少年の姿をしていたのは、嵐の夜に小さな者に対しても、変わらず仕えることができうるかどうかというクリスト・フォルスの忠実な仕事ぶりを見られたのだ。3度、ホ・フエロォーの名を呼ばれた。同じように、聖書の中にもサムエルという少年が、夜中に神様から3度名前を呼ばれた。その度ごとに少年サムエルは、呼応し起きた。そして3度目に少年サムエルは神様のメッセージを聞いた。
名を呼ばれるということは、その人自身を必要とされているのだ。少年サムエルやホ・フエロォーだけが名を呼ばれているのではない。今日という新しい1日が、私にあなたに与えられている限り、同じように私もあなたも、平和の君から名を呼ばれているのだ。そして果たさなければならない仕事がある。たとえどんな状況の中にいても、その事と真っ直ぐ向き合い、そのなかで心を平和の君に喜ばれ仕える方向に向けること。それは小さな事の中に潜んでいる。そしてホ・フエロォーが何年も継続して実行したように、付け焼刃ではない。簡単なようでとても難しい。しかし、私たちが運べない荷物を肩に乗せられる事はない。そして私たちが運べない荷物は大きな存在が全て担ってくれる。希望を持ち続けることは平和の君と歩くことかもしれない。希望とは枯れたような状況の中で芽が出、花が咲いていくパワーである。
続きは又、明日のおたのしみ・・・。
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