京大教授と優等生と数学落ちこぼれのHAPPYその3

12月13日(土)晴れ 暖か
さて、ボンのことを書いていて、優等生には3パターンの人がいるのに、気がついた。
ボンのような優等生は奇特だ。これが本物の優等生かもしれない。勉強ができるだけが優等生でもない。「いえ、そんなことないですよ。」といいつつ心の中で、自分ができることを顔には出さずとも喜んで、勉強が出来ない者や、何か自分より下だと自分がはかる人間をどこか見下げている出来るといわれる優等生は多いと思う。
ボン、あのまま、爪をかむ癖だけは卒業してそのまま、大人になってくれていたら、会いたいなあ、、。S教授は夏休み等長い休みには、近所なので、私がどうしてるか、のぞきにくる。「ごめん!ちょっと、近くまで散歩に来た。何をしておるかなあと、顔を見たくなった。」そんな事をされたのは、教えてもらっていても私だけだったと思う。
だんだん、数学が面白くなり、問題が楽しくなった。ボンが居たから、ほっとして気楽にS教授の下で学べたと思う。始まるまでの時間と終わってからの時間、私に色んなことをS教授は聞き、私は話し、賑やかで笑いが絶えなかった。多分他の生徒は、こんな賑やかではなかったはずで、それがボンにも、新鮮だったかもしれない。さて、中学3年になる頃、やっと、数学が皆に追いついた。その上、少しだけ皆より出来る?ようになってきた。そうすると学校で1年からの私を知ってる、お勉強が出来る子たちが、驚いて、『数学教えて』とくるようになった。その言葉を聴いたときは、私がビックリした。しかし、1度もS教授の事は話を誰にもしなかった。S教授はすごい数学者なのだ。数学落ちこぼれの私のことで、名誉を傷つけてはいけないと、誰に言われたわけでないが、そのくらいは理解していた。ボンや他の出来がいい、おぼちゃまなら、S教授の名を出してもどちらも顔が立つ。いくら数学落ちこぼれでも、それは解って自分の位置は理解していた。祖母にも申し訳がない。「Aさんのお孫さんは、大丈夫でなく数学落ちこぼれ。」なのであるから。1年で、2年分の数学を取り返し、頑張れた。奇跡だ。でも、しゃかりきになって勉強してなかった。しゃかりきになってやっていたら、今頃数学者になっていたかもしれない??今は数式の多くは忘れているが、S教授はいつも言っていた。『数学は現実の社会、毎日の生活にいつも存在してるんだ。その応用が生きていくことなんだよ。生活し、日常でいつも指針を与えてくれる助けになるんだよ。』と。
この真意を理解し、実践して数学を教えている、数学の先生はどれだけ居るだろうか?
S教授に教えてもらった、全員がそれを学べたかは解らない。多分私は数学の先生に躓き傷つき数学落ちこぼれになったから、数式解くより、考えたのかも知れない。S教授はじめ奥様、ボンが、数学落ちこぼれでも、数学を学ぶその中に、私がそこに居てもいいんだよと、喜んで暖かい視線とエールを送り続けてくれたお陰だ。数学落ちこぼれと書くのは、人間は誰でも全てが落ちこぼれではないからだ。必ずその人しか持ってない素晴らしいものを、神様は与えている。
人間がはかる落ちこぼれや、人間が評価する優等生と、神さまがはかり、評価する度合いは異なるはずだ。卑下したり、傲慢になる事も避けよう。大事な事は自分の現在地で、どれだけHAPPYを届けられるかではないかと思う。
状況はたとえ苦しい中でも、小さなHAPPYを大事に育てていく時、HAPPYでない%は逆転していく。あれだけ、数学落ちこぼれの私でも、何とかなったのだから。
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京大教授と優等生と数学落ちこぼれのHAPPYその3” に対して2件のコメントがあります。

  1. 石畳のん♪ より:

    その3、ありましたネ!

    優等生のパターン、とても共感です。
    優等生とは縁遠い私ですが、観察力は今も
    昔もあったと思うので・・・(^_-)-☆

    実るほど頭が下がる稲穂かなという言葉がありますが
    S教授やボン(今頃教授さんかな??)ハッピーさんは
    同じパターンなんだと思います。実は 実家の父も数学の

    教員だったのですが、穏やで温厚な人でしたが、私に教える時は
    あまり上手じゃなかったように記憶してます。出来ない子に教える
    技術は持ち合わせてなかったのかな?あるいは実の子だったから??

    もう一度父に会えたなら、お互い?もう少し謙虚に教え教えられたいです。

    1. happy-ok3 より:

      石畳のん様、こんにちは。いつも感謝します。
      お父様は数学の先生だったのですね。
      (#^.^#)
      すばらしいです。
      >「穏やで温厚な人でした」
      素敵なお父様ですね。

      S教授が、出来たお方だったので、ボンのように優しい謙遜な人と一緒に学べるよう、配慮して下さったのかもしれません。
      もう、教授は亡くなられましたが、お会いしたいなあと思います。

      いつも本当に有難うございます。

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