相手の幸いを願うのが愛
5月5日(月)
『愛するとは相手の幸いを実現に向けていく行為。』実祝プランニング語録
ストーカーが悲しいことに増えている。
5月2日に起きた、ストーカー事件。
命を奪った57歳の男性は、昨年6月にも、元妻に暴力をふるっていたらしい。
ご自分の思いどおりにならないと、力でねじふせようとされる。
これらは、この男性に限らず、力=権力や立場を使って、
人を潰してしまう人は、他にもおられる。
「惚れるのは状態であり、愛するのは行為である。
(ルージュモン)」
惚れるというのは、心を奪われてしまうこと。
美声に聞き惚れる。とか、心意気に惚れる。とか、
状態というのは、人や物事のその時点での有様。
美声が聞こえると、その時点で何かをしていても聞き入ってしまう。
しかし愛するとは、目的と意志を持つ行いである。
親切な行為とか。心の意志が反映するのだ。
自分の良心と思いやりを大きく使って行う行為である。
あえて損得でみると、見返りのない損なことかもしれないが、愛する人も愛される人にも
大きな深い喜びがともなうものである。
ストーカーにしろ、いじめにしろ、そこには、喜びがともなうのだろうか?
いじめにしても、見えるいじめと見えない、いじめがある。
とにかく卑怯なことを続けていくと、ご自分の内面が
どんどん毒されていく。
すると喜びがなくなっているから、無意識に刺激を求めるようになる。
悪循環になっていく。
うちには、生まれつき障がいを持った23グラムの仔がいるが、
いつも、気にかけ、様子を見る。
小さな動物でも笑うことをご存じだろうか。
その仔が、いつも笑って幸せでいれるように、
私なりに心を砕いている。
愛するとは、思いやりを、幸せを届けるための継続した、行為である。
いじめや復讐、仕返しやストーカーとなって相手を傷つけることからは、
自分自身の中に、愛は見えないし、生まれない。
愛するとは、ルージュモンが言うように、行為であるが、それも相手の幸いを導く
実現に向けていく行為なのだろう。
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