愛と好意~正しい愛と好意へ

5月4日(日)

『愛は、奪うものでなく、与えるもの。』実祝プランニング語録

愛するとは何か?を学ぶ教科が必要なのかもしれない。

2日の午前2時30分ごろ、大阪でまた、ストーカーによって、

女性が命を奪われてしまった。

この女性は、38歳の既婚者であり、夫と小さな子供がいるという。

女性はスナックで働いていて、そこのお客さんから、

一方的に好意を寄せられ、困っていたとか。

このお客さんは、2月28日にスナックへの出入りを禁止された。

すると次の日からメールが送られてくるため、3月には、警察にも相談していた。

ストーカーの男性は57歳。

警察も警告は男性にしたようだが、それでも事件は防げなかった。

好意を抱くことは、感情の問題なので、誰にでもある。

歌手や俳優に対しても好意を持つからファンになる。

正しい好意なら、相手を応援し、相手を理解する行動に出れる。

しかし、相手の困ることをする、続けるというのは、

好意ではなく悪意に等しい。好意が怨恨にかわってしまう。

この「かわる」というのは、変化というより、代る・・・つまり好意の代替えが怨みと悪意になってしまう。


ストーカーをして、相手の命を奪うことは、相手だけでなく、その周囲の幸せすら

奪ってしまうのだ。

女性の夫や子供は、今後の人生が、大事な人を失ったままになる。

「愛は自分自身の愛する能力にもとづいて

 愛する人の成長と幸福を

 積極的に求めることである。(エーリック・フロム)」

愛する人の幸福を、愛する人の命を奪って、

それが好意や愛だろうか?

愛するとは、自分の命すら差し出しても、

愛する人を守る。

また、愛する人が喜ぶことを積極的に行うもの。

困ることを積極的に行うとは、好意でも愛でもない。

ストーカーになってしまう背景には、

自分の欲求、要求を通したいという裏側の、

満たされない「さみしさ」のようなものがあるのではないか?

ストーカー規制法ができたとはいえ、警告や表面的な状況判断では、

防ぎきれない要素がたくさんある。

新聞に取り上げられるストーカー事件は氷山の一角だろう。

そして、いじめや人を陥れることも、噂による中傷も、ストーカーのプチ版に等しい。

何か良い解決策をいろんな角度から見つけていくことは

今後必要な課題ではないのか。


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