ヘレン・ケラーその3

7月8日(火)

『他者のために生きていく喜びは幸い。』実祝プランニング語録

大学を卒業したヘレン・ケラーの活躍はめざましかった。

1906年、26歳の時には、マサチューセッツ州の盲人委員会の委員に。

1909年には、アメリカ社会党に入り、女性の参政権、産児制限、公民権運動など、多くの

政治的、人道的な運動に参加していく。

また、著作家としても執筆をこなしていた。

1916年には、世界産業労働組合の働きに共感し活動に参加する。

翌年のロシア革命を擁護していった。

人道的なことへの働きを、喜びとしていたようだ。

「人生がもっとも
 
 面白くなるのは

 他人のために生きている時です

 (ヘレン・ケラー)」

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さて、ヘレンの恋愛はこの時期にあった。

1916年、36歳の時に7歳年下のジャーナリスト、ピーター・ヴェイカンにプロポーズされるが、

ピーターは、当時の労働運動に参加していたため、

保守的な考えを持ったヘレンの家族から、大反対にあう。

それでもピーターは諦めなかったが、家族が、ピーターに

本気でライフル銃を向けたため、ついに諦めた。

銃を向けたのは、ヘレンの母親もしくは、妹の夫ではないかと両説ある。

その後ピーターは、他の女性と結婚したが、へレンは一生独身を貫いた。

ヘレンの活動を快く思わない人たちもいたことは事実だが、

ハンディを持っている人たちに希望を届け、

日本においても、ライトハウス設立のきっかけになったことも、事実である。

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