ヘレン・ケラーその1

7月6日(日)

『重荷と見えることが志を強くする。』実祝プランニング語録

ヘレン・アダムス・ケラー。(通称=ヘレン・ケラー)

盲ろうというハンディを背負いつつも、世界中を訪ねて、

身体に障害を持った方々への教育・福祉に尽くした人である。

ヘレン・ケラーは1880年6月27日に、アメリカ合衆国のアラバマ州タスカンビアで誕生した。

この生家は「アイビーグリーン」と呼ばれ、敷地を合わせて、

約 260 万平方メートル(640エーカー)の広さがあり、

後に家庭教師となるアン・サリヴァンと出会った家でもある。

1972年にアメリカの国定歴史建造物に指定された。

敷地、家あわせて、博物館とししても公開されている。

1882年、ヘレン・ケラーが2歳の時、高熱が出た。

医者と家族の懸命の治療と看護によって一命は取りとめることができた。

しかし、聴力、視力、言葉を失ってしまった。

聴くこと、見ることもできないので、しつけを受けることもできなくなり、

とても我儘な子どもに育ってしまう。

両親は1887年、ヘレンが7歳の時、電話の発明者である、

アレクサンダー・グラハム・ベルを訪ねた。

ベルの紹介で、マサチューセッツ州ウォータータウンにあるパーキンス盲学校の校長に

ヘレンの家庭教師となれる人を依頼した。

それが、当時20歳のアン・サリヴァン。

さて、ベルの母と妻は「聾者」だった。(聴覚障がい)

ベルや当時の影響力がある人々の中には、

聴覚障がいは克服していくものだと言うあつい想いを持ち、

お金と時間をかけ聾者に話し方を教えよう。

手話を使わないようにすることで、聴覚障がいの人たちの

より広い社会へ出る道が拓けると信じていた。

しかし、手話を使えばいいのだ!という風当たりも相当あったようだ。

その重荷が、ベルの発明の意欲を強めたとも言える。

ヘレンがベルに初めて出会ったのは子どもの時だが、

大人になったヘレンは、ベルのことを、

「隔離され隔絶された非人間的な静けさ」に風穴を開けてくれた人!と、

障がいを持った自分に大きな強い力を与えてくれた人と感謝している。

「もしも この世が喜びばかりなら

 人は決して 勇気と忍耐を

 学ばないでしょう

 (ヘレン・ケラー)」

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はたから見れば、重荷となること、ハンディを背負ったことが

勇気と忍耐の基盤になって、素晴らしい人となり

良い働きをする志を堅固な、ものにしていくといっても

過言ではないと思う。

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