ぞうきんになる

7月2日(月)

『ぞうきんになる』実祝プランニング語録

この言葉は、聞こえはいいが、中々できる事ではない。

先日ノートルダム清心学園理事長(前学園長)である渡辺和子氏が、ぞうきんになりきれない自分という事を書いていた本に出遭った。

ぞうきんになるほど、何かを一生懸命した人なら、ぞうきんにされた自分を抹消されたり、

捨てられたりする事は、生活も心も身体にさえ痛みと傷が残るからだ。

他者を使い捨てのぞうきんのように扱う人がいる。

本来なら、ぞうきんになり、他者に、救いやら良いことを説き、他者に仕えなければいけない立場の人が、他者をぞうきんのように扱う事が増えているらしい。なぜなのか?

哀しいかな、本質が見えていないと、仮面を被って自分が得をする生きかたに走ってしまう。

渡辺和子氏は、教職に就こうとしたとき、「忘れられて喜べる教師になりなさい。」そう、恩師から助言を受けた。

ぞうきんになれと言う意味だと渡辺和子氏は解釈した。

渡辺和子氏は、「それでも自分は中々ぞうきんになりきれない。だけど、ぞうきんになりたい、という気持ちがあればそれを忘れないように。」

その声にならない声に励まされていると。

人は、自分に酷い仕打ちや、噂や、自己弁護や保身の為に潰された出来事や相手には、良い思いはもてない。

しかし、その事実を許していくことが大きなスタートである。

許すとは、その出来事を忘れてしまうくらいの気持ちになる事。

許せないという気持ちは、いつまでもその出来事が脳裏から離れず怒りや憎しみを持ち続ける状態。

たとえその相手が未だに、陰で良からぬことをしてきたり、高笑いをして優越感に浸っていたとしても、

そういう『悪』に自分が引き込まれない事だ。

そんな相手から、自分の痛みに謝罪などしてもらおうなどと思わないほうが良い。

相手はぞうきんとして使っただけなので、忘れているだろうが、

何かをさせてもらった事、時間は、

凄い体験となって、実際に汗と涙を流し他人には、身についているはずだ。

この宇宙を造られた大きな存在は、宗教や立場、肩書きを越えた中に存在している。

怒りを感謝に変えていくとき、別のところで必ずその体験が花開く。

そして、その良からぬことを続けている相手の為に、幸いを祈ること、

それは全ての幸いにつながっていく。
copyright2012実祝プランニング

尼崎ベンチャービジネス研究会ホームページhttp://ama1975vb.com/

ホームページのトップに、メンバーによる励ましの小さなデザインポスターを掲載。

7月に「NO.21太陽に向ってひまわり」
「NO.22よろこびかえるの暑中見舞い」
7月A[七夕」7月B「暑中お見舞い」
7月C「負けるな!中小企業!」を掲載。

17年前、被災した立場から創られています。

JPGでのアップのためブログでは、この画像になりますが、
デザイン 幸せカエルは、http://d.hatena.ne.jp/happy-ok3/20120526
デザイン お父さんありがとうは、http://d.hatena.ne.jp/happy-ok3/20120610
デザイン 雨の励まし 紫陽花はhttp://d.hatena.ne.jp/happy-ok3/20120617
デザイン ジューンブライドは http://d.hatena.ne.jp/happy-ok3/20120623

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