どのような もっと、もっとが良い?
1月29日(日)
『もっと、もっとの姿を見直す謙遜さ。』実祝プランニング語録
ヴィンセンシオ神父は、30歳を過ぎた頃から、献身者としての自分の生き方を本当に腹の奥を探られても、神と人に恥じない生き方に変わっていった。
ヴィンセンシオ神父はカトリック。
さて、今の時代ヴィンセンシオ神父のような本気の献身をされている人達が多いといいのだが・・・・。
1級身障者の方が送った献金を送り返したという70歳近い牧師。
その献金は封が切られ中身は見られていたと聞いた。
また最近もある方が、質の良いスーツやシルクのコートを、
ご自分は1年のうち、そんなに着る回数が無いからと、手放すとその方はもう買えない品なのに、献身者の方達にと献品した。
後で聞くと、スーツは上下同じサイズなのだが、サイズが合わないからと、
伝道師という方が、片方だけ取っていったとか。
残った片方はスーツの場合、合わせるのが難しいのだ。
もし、ご自分が大事な洋服を献品したら、どのように用いてもらえば、嬉しいのか?が考えられないのかな?
また、ご自分が大事な物を捧げた事があれば、理解できると思うのだが・・・。
その方は、そんなことをされるなら、近所のボランティア団体に持っていったほうが、本当にスーツも人も活かされたのに。と嘆いていた。
また、私ももう絶版になっている良い本を献品したのだが・・・・その窓口になった牧師さんが、「この~の本は自分が欲しい!」と。
後で、「そんな事をされたら、{役得}でしょう?あなたが欲しいと思うなら他の方々はもっと欲しいでしょう。役得はやめて、まず、全冊皆さんに見せてから、じゃんけんでもしてください。」と申し上げた。
「解かりました。」と返事がきたが、残念で残念で今でも心が重い。
言われるまでもなく、自然にそういう事をする習慣が身についていないといけない立場であり、年令も還暦は越えておられるのだ・・・。
勿論立派な牧師さんや伝道師の方々は、沢山いらっしゃるから、1部であり、大丈夫だろうが。
私も色んなことをまとめる立場にあるが、そんな事はしない。
何かあれば、まず、皆さんに報告し、その上で自分は1番最後にさせてもらう。
口で教えることが重要ではない。
陰で見えない部分でどれだけ、ささげ、仕えているのかという事は、見えない部分で伝染していく。
そして関わった人達の心を軽くし、良いことを倣わせていく。
どのような「もっと、もっと」なのか もっと神と人の為になのか、自分の欲望なのかが、問われると痛感させられた。
ヴィンセンシオ神父は召されるまで、古びた服と穴の開いた靴だっただろう。
それでも、「もっと、もっと、神と人にまだ尽くせなかったか?」と自問していたのだ。
Copyright2012 実祝プランニング
尼崎ベンチャービジネス研究会ホームページhttp://ama1975vb.com/
ホームページのトップページに、メンバーによる、励ましの小さなポスターをPDFで掲載。
1月にNO.15「初春」を掲載。
同じく16年前被災した立場から、想いをこめて創られたようです。
また1月に「しっかりと美しく辰」をも掲載どうか、用いて頂ければ、幸いです。