聖なる事は伝染する

1月30日(火)
『聖は伝染していく{生きた光}』実祝プランニング語録

インドでは、一人の聖人がいたら、その周囲が大きな範囲にわたって、聖なる人が増えていくのだと言う。

ずっと疑問で考えて祈っているが、宗教とは関係がない人でも「え~っ???」と驚く残念な出来事を
宗教を説いている方々がなぜされるのか?

ある人が言われるには、愛を教室で学び、愛という言葉を説いていたとしても「本当の愛の欠如」が、その原因だろうという。

新渡戸稲造は外国の人達から、宗教を持たなければ、何を基準にして正しい事を判断して生きるのか?と問われた。

そこで、「武士道」の登場。
武士道は良心を磨き従うこと、そして相手を尊ぶことを学び実行していくことだと。
それには、お手本となる「師匠」に倣う。

また、「欲を捨てた愛をどれほど、陰で大事に育てているか」これが問われるのかも知れない。

欲を捨てるとは、自分の容量に愛が多く詰まっていないとできない。

人を愛するという事を、机上の空論的には教えて学んでいる。だから、愛を語る事はできる。

しかし、愛することの本質を身体と心に浸透できていないと、何かの時、自分が損と見える状況で、愛を実践することは積極的に行えない。

これが理解できる方というのは、苦しい中でも、人の為にささげ、尽くしている人だ。
その行動は、地味なモノなので、多くの目には触れないことが多い。

聖人と呼ばれる人たちは、イヤイヤ自分を差し出したのではない。

自分が希望し、周囲の人達を助けることを本当に自分の喜び以上の喜びと出来た。そういう志を毎日持ち続けているから、出来たのだ。

心と魂、信仰も、身体の鍛錬と同じく、毎日鍛錬しないと維持できない。
だから宗教に関係なく、聖人と呼ばれる人たちは、苦しい修行や祈りに時間を費やしたのだろう。

「ローマは1日にしてならず。」
これは、全てに当てはまることかもしれない。

難しいことをしなくても、毎日些細なことで、自分を棄てた愛をささげていく習慣を持てば、感謝が大きくなり、感謝が大きく沢山出ると、他者が喜ぶ姿が嬉しくなってくるのではないだろうか?
Copyright2012 実祝プランニング

尼崎ベンチャービジネス研究会ホームページhttp://ama1975vb.com/

ホームページのトップページに、メンバーによる、励ましの小さなポスターをPDFで掲載。
1月にNO.15「初春」を掲載。
同じく16年前被災した立場から、想いをこめて創られたようです。
また1月に「しっかりと美しく辰」をも掲載どうか、用いて頂ければ、幸いです。

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