神に近い人遠い人
6月29日(水)
今は、宗教から離れる人が増えている。
しかし、宗教を特定しなくても、見えない神を認める人は増えている。そのような方々は特定の宗教の場にはいかないと言う。なぜなのか?
随分以前から外国の諺でこのような諺がある。
『教会に近いほど、神から遠くなる。諺』
某牧師さんが、言われた。「人が増えたらお金も増える。」と。
そのとき、ある方が「何を勘違いされているのですか?人=お金では無いでしょう?聖書の十字架はそんなことの為に存在しません。」そういったと。
この方は、若い時から学校にいく前に、新聞配達のアルバイトをしてそのバイト代を、若い時通っていた教会にささげ、皆で色んなことを協力してこられたという。神と一緒に頑張ってこられたようだ。
その某牧師さんの教会は、前任のそのまた前任のもう故人の牧師さんが頑張ってこられたものらしい。
宗教は良いものであるなら、この牧師さんのように、「人=お金」という考えを本当に捨てて、それを神という存在に清めて、浄化してもらうことが先に必要ではないのか?
必要ならば、神が備えてくださるというのが、信仰ではないのか。
神という存在は、人の心を奥底まで見通しておられる。
人に対しては立場や言葉や、圧力をかけること、意地悪をすることで表面は繕い誤魔化せても、神という存在には通用しないのではないか?
言われた方に対して、某牧師さんは、事実でないことを周囲に吹聴し、圧力をかけ、神も人も悲しむ事をされたらしい。
神という存在の近くにいるか遠いか、如実に物語っていると思う。
神という存在は頭の知識や、表面の儀式の中にはないはず。
神は魂の中に生き、人の命を尊び喜びを与える為にいつもそばにおられる存在ではないのか?
勿論、マザーテレサの男性版のような牧師さんも、沢山おられるはずだが・・・。
神に近い真摯な宗教家の人たちに、多くの迷って悩んでいる人達の助けになってほしいと願うのは、皆同じだと思う。
本当に人を救えるのが、神と教えられているはず。
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