バレンタイン・デーの愛は続く その2 護る愛
2010年3月5日(金)曇り
『護る対象がある事は幸い。』実祝プランニング
護る対象があるのは素晴らしい。
先日、友人の家に寄った。そこにはもうすぐ14歳になる老犬(雑種・メス)の「ちーちゃん」がいる。
ところが、ここ何ヶ月か、ちーちゃんに変化がおきた。
遊び道具として、押さえると「キュ~」と音がでるボールを与えたところ、そのボールを自分の子どもと錯覚して
離さないというのだ。ちーちゃんは子どもを産んでいない。
この頃は、歳のせいもあり『待て』も出来なくなってきた。肝臓も患い薬も飲んでいる。しかし、そのボール(自分の子どもと勘違いしている)をあてがわれた後からは、食欲も出て、散歩も元気にすると。老犬なのに毛の艶も良くなってきた。
そして1日中、くわえたり、なめたりしている。誰かがそのボールを触ろうとするものなら、威嚇して怒り出すという。14歳の犬といえば、「おばあちゃん」である。しかし、自分の愛する対象、それを護ろうとしている姿からは物凄いパワーが出ている。
自分を護るのではない。老体を張って愛する対象を護っている。私は、ちーちゃんから、愛することを本当に知っていれば、大きな力が加わることを、垣間見させてもらった。
私達は、何を護ろうとしているのか?肩書きやプライド?誰かを出し抜いて裏切ってまでも自己主張を通す事?
バレンタインは神ではなく人間だった。しかし、神の愛、人々が幸いを担う愛を護るため死を恐れず実行した。
今、神のために働く方々も心底同じ献身の志を持っておられたら幸いだ。これは献身を指導をしていく立場者の根底も問われる厳しい部分である。神の愛が注がれた生命を護ることは、神に似せられて造られた者たちひとりひとりに問われることかも知れない。
『神は愛です。第一ヨハネ4:6』続きは又、明日!★★★ Copyright2010 実祝プランニング※アダルト的内容とは一切関係がないのでそのようなコメント及び不適切なものは遠慮をさせて頂きたくお願いいたします。