祈りとエールを送り続けたい。ハイチ地震の涙。
1月25日(月)曇り
『今日命があることは、生かされていることだ。』実祝プランニング語録
ハイチで地震に遭った男の子が泣いてる。その泣き顔が、新聞に載っていた。
その子は首都北部にある、貧困地区のシテソレイユにあるショスカル病院にいる。病院といっても屋外に設置されたテントの中の病棟である。地震での怪我のため、膝から下を切断されてしまった。
その子は泣き続けているという。多分元気な子どもだったのだろう。私は、新聞のその写真を見て切ない思いがした。
ところが、偶然もう40年くらい前に書かれていたある医者の手記を読んで、その子に遠く離れた、この日本から祈りとエールを送ろうと思った。
手記の内容は、自分の担当する患者に「閉塞性動脈硬化症」という病気の人がいた。これは膝から下が腐ってくるので切断が必要。ところがその患者は、切断に対して大きな抵抗があり、すぐには手術に踏み切らず、3ヶ月も迷ったという。
その3ヶ月間激痛は絶えず襲い、腐ってきている足の毒素が身体にも回り、すっかり体力を消耗してしまった。やっと決心がついて切断したが、手術は成功したものの回復に必要な体力が残っていなかったため、、しばらくして亡くなられたという。迷わずすぐに切断に踏み切っていたら、足を失っても笑顔で生きる時間が残っていたのではないかと。
地震に遭って足を切断した男の子は、辛いだろう。切断後の足の痛みより、心の痛みのほうが大きいはずだ。
でも、その子には、生きていく力を神は与えた。生きていく中での、その子にしかできない使命を与えておられる。
私も阪神・淡路大震災を体験したので、地震の後の大変さは少しは理解できる。きれいごとではすまないのだ。
その子の名前も私にはわからない。物資は勿論必要で今日の新聞にも義援金の呼びかけは載っている。
物資が必要な人々に正確に届けられる事と、身体だけでなく心が傷ついた人達、特に子供達の傷が癒されるように。そして笑顔が戻るように。祈りは、神に届く。時空を越えて聞かれる。生きていくという事は辛い現実を認め、しかし乗越えていく力を神から頂くことでもある。 私は祈りとエールを、クリスマスの光を届け続けたい。 【わたしはいのちのパンです。ヨハネ6:48】続きは、また明日★★★Copyright2010実祝プランニング