光の天使のHAPPY 不思議からの教訓 

10月8日(木)曇り
『良い事も良くない事からも、潜んだHAPPYな教訓がある。』実祝プランニング語録
友人のご主人は、どうやって空港まで着いたのか、全く理解できないその不思議な体験を話してくれた。
そして言った。「お祈りと言うのは、ご利益何とかではないと思う。でも、祈りが聞かれた体験が、更に祈りを大事にしていくようになった。祈る対象の神様をもっと、今まで以上に尊ぶようになった。その事を、教えるために、この経験があったと思う。自分のことでなく、人を助ける祈りをしていきたい。」と。
どんなときも、祈る心を持つ事は大事だ。けれど、どんな形で祈りが答えられるかは、大きな存在が判断される。赤ん坊が、ステーキをねだっても、退けられる。いくら美味しい食べ物でも食べるどころか、喉につまらせてしまい良い結果にはならない。
又、今、希望しても、大きな存在からみたら、1年後が一番ベストだと判断されるのかもしれない。祈り願ったのに、聞かれていないと思えるときは、動機が純粋ではないかもしれない。又は、その渦中を通らされることで、願い通りでなくとも、苦しみや悲しみを乗越える力をすでに、贈られているかもしれない。勉強もしないで、試験で100点を取れるよう祈っても、それは難しい。
願いを出す事は良いことだが、自己中心な心は手放さないといけない。そして祈りが聞かれたら、そこから更に良い方向に進む努力も必要とされる。
祈りが聞かれた人は言われなくても、できるのだ。なぜなら、大きな存在に心から感謝を捧げられるからだ。
明日も、素敵なHAPPYの続き・・・。お楽しみに。
Copyright2009 実祝(みのり)プランニングf:id:happy-ok3:20091001230532j:image

09’9月25~27日までのブログでパシフィック・ユニオンの学生達が、一生の力となり続けた、詩篇34篇の言葉。長いので、少しずつ、簡単な説明とともに、紹介させていただく。新改訳聖書引用。
その11・34篇『6節・前半・この悩む者が呼ばわった時、主は聞かれた。』祈りが聞かれるのは、必ずしも自分の願い通りになることでもない。しかし、信頼した真面目な祈りは主が喜んで耳を傾けて下さっている。そして祈りに対する応答は必ずある。

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