人を生かす努力が起こしたHAPPY その1

7月8日(水)曇りのち晴れ
『お互いに助け合う努力は、HAPPYで素敵なことを引き起こす。』
実祝プランニング語録
お互いに助け合う努力を精一杯していく時、HAPPYで素晴らしい事がおきる。邦訳はないのだが、アメリカの作家でマーガレット・リー・ランベックという人がバスク人が住む村近くのルアドという町で、世代を超えて語り継がれてきた実話を『The Great Answer (すばらしい答え)』という本に書いた。
どうやら1940年代の間に起きたと推測される。

このバスクという地は、イベリア半島がフランスと接する大西洋側のピレーネ山脈をまたぐ一帯にある。登場する難民達が全てバスク人であったかどうかは定かではない。しかし、バスク人は古代ローマから、自治を任され、バスク人の王、アリスタの末裔達がイベリアの並み居る王家を継承した誇り高き民族であった。宗教はカトリックが主であったらしい。

さて、スペイン国境から程近い町でこの事は起きた。町の宿には多くの難民がいた。様々な政治的混乱があり、この難民達はドイツのナチス党員に指揮されている、ゲシュタポという秘密警察の手を逃れて、フランスまで、やっとの思いでたどり着いた人達であった。

ゲシュタポは、1933年にナチスが政権を獲得した後に、共産主義の中心地であった場を掃除する目的で、設置された。1939年以降は国家機関と党機関の区別が無くなってしまい、ナチ党が国家機関を飲み込んでしまった形となった。
その後ゲシュタポは国家保安本部の一部となり、ハインリッヒ・ミュラー局長の下に約4,500人もの職員がいたという。
ドイツ国内や占領地域においてナチス・ドイツの暴力装置とまで呼ばれる振る舞いは「夜と霧」とまで言われ深夜から夜明けにかけて、突然の逮捕や厳しい拷問や劣悪な待遇等が老若男女を問わず情けなく行われるため、ヨーロッパ中を震え上がらせていた。

この難民達は国境地域を抜けてスペイン領内に入り、そこから船でアメリカに脱出する計画を持っていた。しかし、4歳に満たない女の子と若い母親もいた。女の子は、体力がない。動けなくなれば命はない。

『滅びに至らせる友人達もあれば、兄弟より親密な者もいる。聖書箴言18:24』
さて、難民達は全員がゲシュタポを逃れ、国境を越える事ができるのか?すごいことが起きてしまったのだ
続きは、又、明日・・・。
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