お手本になったフラナガン神父のHAPPY その1

6月26日(金)晴れ
『本物の聖職者は肩書きや知識に左右されず、自分自身の生涯を神と人にささげきれるHAPPYな人。』実祝プランニング語録

お手本になった素晴らしい大人。

その名はエドワード・ジョセフ・フラナガン。

1886年にイギリスのアイルランドに生まれる。

通称「フラナガン神父」の名で知られる聖職者である。

今は、聖職者と言う名の真髄に自分自身を投身していない聖職者も、悲しいかな多い。

それは、その世界での肩書きがあるとか、神学の知識がある等とは異なるのだ。

しかし、フラナガン神父はマザー・テレサと同じように自分を神にささげ、神が愛された人間のために、尽くした本物の聖職者である。

フラナガン神父は1904年にアメリカに来た。

アメリカ中部のネブラスカ州オニールの聖パトリック・カトリック教会の助祭であった。

1912年にはネブラスカ州のオハマに

『少年の町』という更正自立支援施設を設立したことでも知られる社会事業家である。

アメリカの市民権を取得したのは後の1919年であるから、その間多くの人達からHAPPYな信望を得ていたのであろう。
 

『彼が民の悩む者たちを弁護し、貧しい者の子らを救い、しいたげる者どもを、打ち砕きますように。聖書詩篇72:4』

さて、フラナガン神父の元に、仮釈放になったものの、手に負えない少年が送られてきた。

名前はエディ。まだ8歳半である。

8歳の時には、自分の倍近い年令の少年達を従わせ、少年ギャング団のボスになっていた。

体力も腕力も乏しい小さな少年がなぜ、ギャング団のボスになれたのか?

想像だが、その憎しみに満ちた眼の鋭さと、身体中から漂う怖いほどの雰囲気は、身体の大きな少年達でさえ引かざるを得ない威圧感があったのであろう。

エディは何をしたのか?なんと銀行を襲い、3件もの銃砲店でピストル強盗までしていたのだ。

まるで小さな暴力団だった。

大人の暴力団がふるまう通りに肩を怒らせて歩き、綿密に立てた悪い犯罪計画に、仲間達を強制的に引っ張り込んでいた。

フラナガン神父は身体中から愛情を漂わせ、エディと会った。

しかし、このフラナガン神父でさえ、エディに心を開いてもらうのは難しかった。続きは又、明日・・・。

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