フランシス・マリオンのHAPPY その1

6月3日(水)曇り
『与えられた才能を謙遜に受け取れる人は[本物のどうぞ]を提供できるHAPPYな人。』実祝プランニング語録
マリー・ドレスラーと地上でしばしの別れとなったフランシス。彼女は16歳頃には、すでにサンフランシスコ・エグザミナー紙の女性記者として働いていた。マリー・ドレスラーとの出会いはこの時期だったようだ。
しかしフランシスは、この頃には2度の結婚と離婚をしていた。私が思うにドレスラーと話した時間の中でフランシスは父親がサンフランシスコ恐慌で苦悩したことや彼女の悲しみをドレスラーから聞き出されたのではないか?売れっ子女優になって威張っていたドレスラーだが、情に厚い人であったと思う。だから親娘ほど歳の違うフランシスを食事に誘いネタを提供したのであろう。口では調子のいいことを言いつつ平気で人を出し抜いたり、裏切る人では無い。格が上のドレスラーから「また、お会いしましょう。」と温かなHAPPYな約束をしたのである。人情に厚い2人だからこそ後にお互いの心にHAPPYに応答し合えて、フランシス脚本の映画でドレスラーがアカデミー賞主演女優賞に輝く結果が出たのではないか?フランシスは果敢な女性で1914~15年、及び18~19年にかけてサンフランシスコ・エグザミナー紙の海外特派員として第一次世界大戦・戦闘中のフランス戦線を取材した。男性でも尻込みをする現場へ出向き、女性としては史上初の前線特派員となった。すごい!!1915年にロサンゼルスに移って映画界に入り、助手や女優をしながら、脚本家としてデビュー。1920年代、3度目の夫が俳優だったので夫の出演作のために映画監督もしながら、そのために脚本を書くという男性以上の仕事をこなしていった。[相手のために]というHAPPYな情熱が仕事の根本的な部分を本物へと磨き上げ才能が更に開花されていったのではないか?私はフランシスの人生を少し垣間見る中、いつも周囲のために[本物のどうぞ]を提供できた人だと思う。今は肩書きはあっても[ご自分様]を上手に出していく人が多く[本物のどうぞ]を提供できる人は少ない気がする。  
フランシスは、多くの人に[本物のどうぞ]を提供できたHAPPYな人だった。提供されたHAPPYな人達は誰なのか・・・続きは又、明日・・・。
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