勇気のHAPPY その2

2月12日(木)晴れ
「プライドを脱ぎ捨てるところにHAPPYが見える。」
実祝プランニング語録

この頃、グッドタイミングが続く。あることごとから、1つ1つ、本質や背後にある真実がソレデ見えてくる。そして、それらが起きなければ、心で相手に話し、連絡もできなかったようなことが、
出てきて、驚いている。
人間は、不安材料が重なったり、忙し過ぎることや、プレッシャーが強く錘のようにのしかかってきたりしたら、自分の軸がずれてしまうことがある。
コンパスで円を書くとき、針の位置が少しでもずれたら、円は同じような位置にかけるが、本来の場所でなく、ずれた円になってしまう。

また、良いことを計画していても、それを、頑張っている人への、ねたみや良くない思いから反対する人のマイナスの憎しみに似たような、エネルギーが、良いことを潰していく事もある。

誰でも、何か良くないことがあると、良くない面にばかり、何故か光をあててしまう傾向がある。
そうではなく、動機を再度見直すことが大事だと思った。

良かれと思うことでも、何かの掛け違いや、チョトしたことで、反対の大きな出来事になってしまうこともある。それは、多分お互いの信頼が薄っぺらだったからだ。
動機が本当に純粋で善きことなら、少々なにかあっても、動じないでいたほうがいい。
でも、人間は弱いから、自分がぎりぎりのところに置かれていたりしたら、いつの間にか軸がずれてしまう。
動機が最初から良くなければ、それは、、、仕方がない局面もある。またはそれに関わる人たちや状況が整っていなければ、上手くいかない事もある。そんな時は無理に何かをすると、純粋に一生懸命やってるものに、しわ寄せしかいかないことになって、汗を流す人が苦しむことになってしまうので、気をつけないといけないこともある。
でも、良かれと思ってさせて頂いたことが、傷ついたり、悲しいことになったら、その痛みがなくなるのに時間がかかる。
その時、相手が本当はどんな人なのか、どんな動機でしてくれたのかを、正しい位置から鳥瞰したら、理解できる。HAPPYが戻ってくる。いつも、その人が日常で行っていることを見たら直ぐわかる。
傷ついたり、悲しんだりした事実は事実として認めたらいいが、それをいつまでも大事に抱えていたら、表面は前に進んでいるように見えても、内面の本質の部分ではあまり進めていない。
良い意味で自分のプライドを捨てるHAPPYがある。それは勇気がいる。プライドを持ったままのほうが、自分は楽かもしれない。でも、どちらが本当の恥かを問うたとき、変な自分のプライドを抱えているほうが、HAPPYではないと思った。脱ぎ捨てるほうがHAPPYだ。
必要のないプライドは捨てる事は勇気がいるし、まっすぐに不器用でも進むことにも勇気がいる。
勇気を積極的に持つ事は、素晴らしいHAPPYだと思う。

そして、その勇気を持ったとき、「ごめんなさい」「ありがとう」は自然に出てくる。出すなといっても、押し出されてくる。
善き思いからの動機を行う努力をしていたなら、その相手のHAPPYを本気で願うなら、必ず本物は見えてくる。誤解はいつか解ける。そして、その時のお互いの足らなさやよわさも素直に認める事もできる時間が訪れてくる。そのときから、悲しかったことは善い事に変換されていく準備が整う。冬から春に向うように、空気も景色も春のHAPPYの準備が見えないところからされていく。自然も人も同じだ。

春のHAPPYの準備を期待したい。
Copyright2009 実祝(みのり)プランニング

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