スローな当たり前の日常のHAPPY

1月7日(水)
今日は、カキクケコージさんから、コメントがあり、HAPPYだった。
さて、HAPPYな年賀をメールで頂いた。Y君という人からだ。昨日ついていたのだが、これは、本当に本人からなのか?と確認した。Y君は自分が送ったというので、見てみたら、思わず声を出して笑ってしまった。音楽と一緒に楽しい画面が出てきた。挨拶文のところは、音楽がエンドレスで流れる。それも日本的なお正月!という音楽だ。Y君には年賀は出していたのだが、FAXで返事を書いた。Y君のは楽しいHAPPYなものだった。でも、今年、私はできるだけアナログでいこうと思う。
パソコンは確かに便利だ。しかし、落とし穴も沢山あるし、早い分内容を自分が掌握しないといけない。早い分だけ、早くなくなってしまうこともある。
年賀状は、何年も前のものも残っている。

その人の字で書かれている。そういうものは、大事にしたいと思う。また、スローフードの大事さが叫ばれ,食育という言葉までよく耳にするようになった。
それと、類似しているかも知れない。
食事を作るのは、時間がかかる。その前に献立を決め、買い物に行かないといけない。そこには、家族を思う心から、労も時間も提供している。料理は、できたものだけを指すのではなく、その過程さえ含まれると思う。
食べおわる時間は短いのだが、、、。だから、味わって食べれるし、話題も出る。

その時間が、食事であり、HAPPYなんだと思う。
しかし、この頃は、単身赴任も増え、男性、女性に限らず晩婚?ぎみになり、独りで暮らしている独身の人が増えている。

スーパーに夜の8時半、9時にいくと、スーツ姿の男性が1人で買い物をしている姿が多い。
これが10時ごろになると、コンビニで、仕事帰りのスーツ姿の男性が買い物をしている場に多く遭遇する。
この方々の、買い物の中身は、ずばり!「今晩のご飯」
レジに並ぶと見えてしまうのだ。お弁当にお茶か缶ビール。そのあとのおつまみみたいなものと、野菜不足の解消のためか、野菜ジュースと次の朝食、パンかおにぎりみたいなものが入っている。
男性でも、料理が上手い人は沢山居られるが、疲れたからだでは、おそがけの晩御飯を買って早く食べるのが、精一杯かもしれない。それを見ていて、せめて帰ってから、レンジで温めてあたたかな食事が出来、疲れがとれたら、と、心の中で祈らされる。独りで、晩御飯を頂くのだ、、、。
そんな事を体験したひとは、また今体験している人は,独りの食事がどんなものか理解できる。
コンビニでは,温かいおでんが売っているが、スーパーでもこの頃はおでんの汁がこぼれないような工夫をして、容器におでんの盛り合わせをいれたものが、出てきた。
おうちで、温かいおでんや、汁物を作って,待っていてくれる家族がいることは本当は、大きなHAPPYのはずだ。
それが、今ある方は、本当に幸いですね。
HAPPYは、毎日の生活に密着してると思う。スローなアナログは一見不便とみえるかも知れないが、そこに沢山HAPPYがあると思う。

スローな当たり前の日常のHAPPY” に対して2件のコメントがあります。

  1. 石畳のん♪ より:

    そうなんです!時代はドンドン便利になって来たけれど~
    本当のHAPPYは昭和の時代に溢れていた様な気がします。
    しかし、戻ることは出来ないのだから、今の生活の中で
    HAPPY探しをしなければイケマセンね。まずは・・・
    パソコンのスイッチを少し切って??いやもう少し♪

    1. happy-ok3 より:

      石畳のん様、こんにちは。いつも感謝します。

      アナログの時代の、善さって素晴らしいと思います。

      人間の力が発揮されて。

      HAPPY探し 素敵ですね。
      いつも本当に有難うございます。

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