背を見せてくれた叔父からのHAPPY
12月27日(土)晴れ 寒い
殆どの会社が、昨日までか、今日大掃除で終了のところが多い。
いつもさせて、頂いている、ボランティアも年内は今日で終わり。クリスマスツリーを子供たちと大人も含め、皆で片付けた。1番ぼろい、ツリーなのだが、修理をお願いした方が、それはそれは、きれいに修理をしてくださっていたのが、片付けていると良くわかる。知恵を使い手を使い、よくここまでできるなあと思う。大工さんではない。魚を扱っている方だ。ツリーだけはちょっと高い場所にしまったので、みんなで出来て助かった。でも、皆が帰ってから、色々させて頂くことがあった。ツリー以外、箱の中に入っている物が、何がどこに入っているのかを、もう1度出しては、表示を書き貼っていった。そして出す時は簡単なのだが、しまう時は、何をどの箱に、どういう順序で入れて、しまったらいいのかが、わかりにくい。ノートにも、箱の中身と
しまい方も図を描いて、誰が見ても出来るようにした。箱の表にも、表示をきちんとした。
こういうことが大好きで得意な方ならいいのだが、私はそんなに得意ではない。それでも、今日しておかないと、する時間がない。これをきちんとしていたら、現在手伝っている者は皆存在すら知らなかった、3体もの、クリスマスツリーは、昨年もそのずっと以前も出番があって、活かされ、皆がもっとHAPPYだったのに。
これを、しんどいのだが、やっていくHAPPYを、私は叔母のご主人、つまり義理の叔父から教えられた。教えてくれたのは、亡くなってからだ。昨年、叔父がなくなった。葬儀に行ったがその時、いとこのお嫁さんから聞いた。この叔父はすごい人で、万博の年の1970年に4階建ての自社ビルを建ててしまったやり手である。聞くところ、自治会の子供たちのボランティアをしていたらしい。その責任も持っていたと。子供会で何か行事があると、自治会倉庫から、色んな物を出す。それが終わってから、叔父は皆に、しまってあったときと同じ状態に戻すことをいつも言っていたらしい。それが面倒臭く、うるさがる人もいたようだ。なぜなら、行事が終わってからの片付けは疲れてしんどいからだ。「この中にどういう状態で入れようが、また来年出すのだから同じだ!」という人もいたらしい。そういう人には叔父は厳しかったようだ。絶対
きちんと元どうりにすることを、貫いたらしい。叔父が病気になって、そのボランティアが出来なくなったとき、皆は叔父の言っていた深い意味が理解できたという。しんどいけれど、きちんと片付け、チエック確認(ノートが多分あったのだろう)をしていくことが、次回に役立ち、皆が1番早くでき、良い企画も出る方法だったと。叔父の葬儀でそれを、亡くなった叔父から教えられた。それも、血のつながってない、いとこのお嫁さんの口から。叔父は忙しい人だったのに。
さて、ここは皆は遠方から来ているし、多分責任者に私が言っても「また時間があるときにしよう。」といわれるのがおちだ。準備も頑張らせてもらったが、準備は時間がかけられる。しかし、片付けは限られた中だ。それも疲れた身体で。みんなが帰った後、楽しみながらさせて頂いた。本当に楽しかった。これはHAPPYだった。箱1~袋も含め12までにもなったので、最後は身体の動きも鈍くなったが、こうしておけば、誰が見ても多分解ると思う。それは現在、全部、部屋から見えないところにしまってあるので、出さないと解らない。でも、そんなことが本当はとても大事なのだと思う。今日中にそれが、出来たことがHAPPYだった。これが得意な方なら、もっと上手に早く、綺麗にされただろうが、私の力ではこれが精一杯だ。書いてある字が下手だといわれたら、綺麗な方に書きなおしてもらおう。
でも、叔父が亡くなってからも、『HAPPYな背』を見せてくれたことはとてもHAPPYだった。
アントワーヌ・ド・サンテグジュペリも言っている。
『問題はただ一つ、効果があるかどうかだ。』と。
見えない部分にこそ、HAPPYが沢山隠れている。毎日HAPPYを沢山見つけたい。
ハッピーさん お疲れ様でした!
亡き叔父様の背中が見事に活かされ
素敵なお仕事をされましたね。(^。^)
汚部屋絶好調の我家ですが、整理術を教えて
戴いたので、今後に活かさせて頂きます!!
(ナンバーをふること、夫は得意でした♪)
石畳のん様、こんにちは。いつも感謝します。
この叔父とは、義理の叔父であり、離れていますし、詳しい事は、葬儀の時、初めてききました。
きちんとする事が、大事だと、教えられています。今も。(#^.^#)
いつも本当に有難うございます。