クリスマスのHAPPYを贈りたい
12月18日(木)曇りのち晴れ 暖か
先日、70歳を過ぎた病気の方から、「Iwish you are HAPPY」のクリスマスカードを頂き、「わぁ~い」と喜んでいたが、その夜、声なき声がささやいた。『この心をAさんにも贈りなさい。』と。
私は、頭を抱えた。{Oh!My GOD!}考えたら、眠れなくなって、胃が痛くなった。
次の日の夜、「胃がいたいよぉ~」と鍼の先生のところに駆け込んだくらいだ。
Aさんには、努力しても、誠意をもっても、私では届かない。良かれと思うことが、噛み合わない。
反対に忘れた頃に、物凄い、ショックを届けられる、、。だから、諦めていた。
でも考えた。声なき声が、悪をささやくものなら聞いてはいけないが、正しいと思えることなら、しんどくても努力はしていかないと、逃げてもHAPPYはない。それは解っている。
自分の度量ではあまりに難しいと思うので、胃が痛くなったのだ。しかも、クリスマスの前だ。
でも、クリスマスだ。クリスマスには、東方の偉人、博士が謙遜に1000キロ近い道のりをらくだに乗って、長い旅を続け、クリスマスに降誕された、イエス・キリストに高価な尊い贈り物を捧げに来た。しかし、それ以上に、ひとことで言えば、キリストの降誕が、神様からの私たちへの最大の最高の愛の贈りものだった。だから、クリスマスにそのことを感謝し、それに倣って、愛のこもった贈り物を贈り合う。クリスマスの贈り物は、見えるところは、友人、知人なり「見える人」に物を贈るのだが、それは、「見えない部分で神様に贈る」のと同じだ。随分、悩んでは考えた。「Iwish you are HAPPY」」を贈っても『返品』される可能性もある。しかし「マイナス数のお陰」を教えられたお陰で、それでもいいんだ、と思った。ただし、1番難しいハードルは、『心からそれを誠意を持って行うこと。』それが出来ないなら、上辺だけのことなら、自分だってされたくない。だからしないほうがいい。
声なき声は、その結果ではなく、『私が自分を低くして、思いやりと誠意を持ってそれをするか、しないか。』相手や状況ではなく、私自身にチャレンジを求めてきた、「難しいこと=博士達の旅」が必要なのだと思った。
もし、わざわざ、返品してくれるなら、それをも感謝しようと。「返品といっても物ではない。」が。大事な事はHAPPYな心ですることだ。
作曲家のリチャード・ワグナーも言っていた。『喜びは物事の中にはない。自分自身の中にある。』と。お陰で沢山の方にも、心からのクリスマスHAPPYを贈ることが出来た。それが1番HAPPYだ。そして、気になる、長年あってない人たちに私は今毎日「Iwish you are HAPPY.」を祈らされている。これは私に贈られた素晴らしい贈り物をおすそ分けしているだけだ。
Copyright 2008 実祝(みのり)プランニング
本日、実祝プランニングさんからクリスマスカードが届き、
ココロがHAPPY!になり感謝です。\【^_^】/
日曜学校で、リースの中のロウソクが、毎週1本ずつ
増えてくるのが楽しみだったこの時期を思い出しました。
世界の人々が、平和で幸せに暮らせることを願って祈ります。