HAPPYな人生の補修は包むことから

12月17日(水)曇りのち晴れ 暖か
人生の痛んだ部分の補修について考えていたとき、昨夜、NHK教育テレビで『風呂敷で包む』という番組をやっていた。私はデザインという仕事で、紙の会社をお手伝いし、紙で、『包む』事はよくさせて頂くが、『布の風呂敷』は、柔軟性、自在性ははるかに勝る。リボンもテープも不要だ。また、そのまま、包みを解いて中身を置いて帰るだけでもいいし、風呂敷ごと置いて帰っても、邪魔にもごみにもならず喜ばれる。
どんな形の物でも、風呂敷は綺麗に包める。そして、包まれた物を持っているだけで、「どんな素敵な物があるのだろう?」と周囲にワクワクさせる想像をかきたててくれる。
『包む』というには「覆って中に入れる。くるむ。」という意味がある。『包容』という言葉があるが、『容』には、「許す。たやすい。」という意味もある。本当は難しいと考える『包み込んで許す事はたやすい』そんな数式の応用が、もしかしたらあるのかもしれない。
しかし、「これはあんまり、酷すぎませんか?」みたいなことが重なり、その責任を本気でとるのは、時間もパワーも必要で、なおかつ自分がマイナスを背負い、その中で前進しないといけないのだ。簡単ではない。そして、責任を背負わせた人の殆どは、多分自己保身に回って逃げていることが多いのかもしれない。だから、余計にしんどい。でも、それをHAPPYに『変容』させることは、HAPPYを心にもつもち方と、相手を思いやり包むことで可能になる。また数学のお話しになるが、『マイナス数のお陰』というのがある。マイナス数のお陰で、どんな低い温度でも表示が可能になっている。普段の温度も、扱いやすい数字で出る。また、マイナスとマイナスを掛け合わせるとプラスになる。
「見える物」が、柔軟性のある風呂敷でどんな形でも美しく包めるななら、「見えないもの」それも、欠けたり、傷ついたりした見えないものでも、包むことが可能だともう。1つの約束事は
その、見えない風呂敷の表の部分を必ず外側に持ってくること。包んだ時、風呂敷の柄の美しさがきちんと誰にも見えるためである。
そして、風呂敷で包む講師の方が何度も仰っていた言葉が、『包むとは護ることです。』と。
大体、見えない部分が痛む事は、護られるどころかその反対のことを、されている場合が多い。
また、お互い、どちらも痛いという部分があるからかもしれない。でも、考えると『包容力のある人。』というのは、それら辛さを体験し、それでも、忍耐して、前に進んできた人が多いはずだ。自分が本当は護られていい立場なのに、たとえ護られない出来事があっても、その『出来事=もの』を綺麗な大きな風呂敷の真ん中において包んでみよう。包んでいくといつかそれが、マイナスがプラスになるような素晴らしいHAPPYに『変容』していくかもしれない。まして、見えない風呂敷は、布の風呂敷より柔軟性も自在性も勝っているはずだ。その風呂敷を選んでそこに置いて包むかどうかは、本人の自由だ。クリスマスのラッピングが盛んだが、贈り物を護る心を持ちたい。
本当のHAPPYは、贈り物を護る心相手を護ること、から生まれてくると思う。まだまだの自分だが、『包む』ことを学びたいと思った。

HAPPYな人生の補修は包むことから” に対して2件のコメントがあります。

  1. 石畳のん♪ より:

    『風呂敷で包む』、素敵な日本の習慣ですね!そして
    心の風呂敷で、色んなことを包み込んでくれる人達は
    本当に素晴らしいですね!私は、まだまだまだまだ・・・

    1. happy-ok3 より:

      石畳のん様、こんにちは。いつも感謝します!

      包む事は譲ること。

      心を広く柔軟に保ててこそでしょうね・・・・。

      かたいと、包めませんよね。
      私も、まだまだですが、目指します!
      (#^.^#)

      いつも本当に有難うございます。

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