チビと数学のパラドックス

12月16日(火)晴れ 暖か
以前、I氏のところに身柄を確保された『チビ』だが、その後チビはいかがですかと伺った。
I氏は「チビのところに行くと、地団太踏んで喜ぶのだ!」と仰る。『地団太は悔しい時踏むんですけど、、、、。』しかし、様子はよくわかる。チビは自分が好きな人が来たら、4本の足全部をばたばたと足踏みさせて、喜びを表現するのだ。以前その会社で飼われていた頃は、私にも足をばたばたさせた後は、飛びついてくるので、よく洋服に引っかき傷を作ってくれた。それでも、喜んでくれる姿は洋服の引っかき傷にも勝った。チビは{喜色満面で地面を踏み鳴らす。}名人なのである。老犬になっての、HAPPYな生活は、幸いダ。
チビは言葉が話せない。しかし、素直な心を『話す』事、『表現する事』はできる。
私たち人間はどうなのかなあ?と思う。素直な本音がいつも、自分にも人にも、チビの表現のように『喜躍』を与えるものになればいいのだが。
さて、数学が得意な人は、{数学の普遍性}はよくご存知のはずだ。数学は理論に矛盾のない学問と数学者達からは言われている。しかし、多くの学者たちは言う。「それを研究する数学者の日常の行動は矛盾が多いことが証明されている。」とか。これは数学者に限ったことでもないだろう。誰でもある。そして数学でも、論理の迷路にはまり込むこむことがある、これが『パラドックス』と呼ばれ、昔から様々なパラドックスが示されてきたが、数学はそのつど論理を強化して乗越えてきた学問といわれている。
私たちも日常の中で、理不尽なことで、悩んだり、試練にあって苦しんだりする。
でも、それを乗越えてきたから、『今日』という1日があるはずだ。大事な事はその『乗越え方』だと思う。数学はいくつか解き方がある。しかし、どれを見ても、正しい数式にのっとっている。たとえ回答がマダ出せていなくても、正しいやり方で進んでいこうと、努力する事のほうが価値があると思う。数学問題は間違ったら解き直せば済む。でも人生は大きなことでも小さな事でも間違ってしまった時間には引き返せない。だけどそこを再度何かの形で補修する事は出来る。
その補修には、勇気と、自分を低くして、その出来事を大きな心で包み込む寛大さ寛容さが必要になってくる。時間の経過の長さと共に、これらの比重も正比例してくる場合が多いので、その壁を超えられた時は、本当にHAPPYが沢山生まれてくるはずだと思う。
チビはいつも喜んで人に飛びついていたが、それを嫌う人もいた。それは単に洋服に傷をつけられるということもあっただろうが、チビの喜びの心を受け留めてやれないのだ。パラドックスを
乗越えるには、表面を脱ぎすてて、自分の側の見解の枠を外し、内面の喜びを受け留めること、小さな感謝やHAPPYを大きくさせることから始めていくのもいいのかなぁ、と思った。
書いたり言うのは簡単だが、実行するのが、難しい。いつもこれが出来る人は、世界1の数学者より立派なはずだ。数学落ちこぼれだった私には、マダマダだ。

チビと数学のパラドックス” に対して2件のコメントがあります。

  1. 石畳のん♪ より:

    チビ、可愛くて逞しかったのですね~♪ 私は
    子供時代、犬も猫も自宅にはいませんでしたが
    手乗り文鳥(白いチル)とは一番の仲良しでした!

    パラドックス、難しい言葉ですが、迷路から中々
    抜け出せない悩みのことなのですね? 今の私は・・・
    いかに睡眠時間を確保するか でしょうか?(^_^;)

    1. happy-ok3 より:

      石畳のん様、こんにちは。いつも感謝します。

      手乗り文鳥がいらしたのですね。

      可愛かったでしょうね!

      最近、遅くまで頑張っておられるのですね。
      どうぞ、お身体、大事になさって下さいね。

      眠ること、大事だと思います・・・・。

      いつも本当に有難うございます。

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