お祈りする鳥
10月12日(水)
『祈りは言葉の羅列でなく、心。』実祝プランニング語録
うちのマメルリハの仔「勇輝」がお祈りをした・・・。
実際に言葉に出すから驚きだ。
獣医さんによると、マメルリハは、めったにしゃべらないという。
そのマメルリハが、しゃべりだすのだから、本当に奇跡?である。
お祈りといっても、私が勇輝にしている内容を、そのまま話し出すのだが、それでも、内容が理解できているように見受ける。
6月の末に生後1ヶ月ほどで、うちに来たのだが、最初の1~2日は慣れないせいか、餌も食べられなかった。
その上、獣医さんに連れていくと、お腹に病気がある事もわかり、とにかく愛情を注いで育ててきた。
生後2ヶ月経った7月くらいから、自分の名前をしゃべるようになってきた。
単語を並べるくらいだろうと思っていたら、歌は歌いだすわ、お祈りはしだすわ・・・。
聖フランシスコは、小鳥にも、説教をし、それを小鳥が理解したという。
その事を知っていたので、心をこめて話すようにしていた。
やんちゃが過ぎる日は、「明日はもっと良い仔になるように。」と。
今は換羽(とや)といって、羽の生え変わる時期。
とても綺麗な色になってきたが「勇輝はいいね。洋服もコートも要らないし、綺麗な毛皮を神様が用意してもらっているね。有難うといわないとね。」
詩篇86編はダビデ王が、常に祈って,苦しみを大きな存在に持っていった詩の1つでもある。
苦しみの中でさえ、その人自身の存在を、決してないがしろにせず、その人自身の存在を喜んでくださる。
『あなたのしもべのたましいを喜ばせてください。
主よ。わたしのたましいは、あなたを仰いでいますから。詩篇86:4』
人間の場合は、自分の意思を自分で大きな存在に訴えることが出来る。
苦しい事や、苦しめられることの多い時代。
宗教家にさえ、苦しめられ、多くの人が宗教から引いている現実がある。
宗教家であっても、その人は神ではない。
勿論、立派な人もおられるが、悲しい事に聖人という人が減ってきている。
しかし、大きな存在というのは、いつもおられる。すべてを見通している。
自分の存在を自分で放棄する前に、祈るという道がどんな人にも開かれている。
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