被災地の報告~大島の命を支えた船長
2019年 4月9日(火)
地震・豪雨・台風、その他の災害の復興を心からお見舞い申し上げ、お祈りします。
関心を持ち続け、支援をと願います。
「仕事の使命は人を生かし助ける。」
日々変化する、復興の事を少し報告。
happy-ok3の、日記の記事は被災地の報告の下に。
【台風】
台風21号による破損で通行不能となった関西空港連絡橋が、8日の朝、
全面復旧し、空港の機能が完全に回復した。(読売新聞様)
【西日本豪雨】
●岡山県内の公立小中学校全535校で8日、始業式があり、児童生徒がそれぞれの
目標を胸に新しい学年をスタートさせた。
(写真:山陽新聞様)
真備東中の体育館で行われた真備中の始業式
西日本豪雨で校舎が被災した真備中は、プレハブ校舎を設けている真備東中で
式を行い、2、3年生計158人が復興への決意を新たにした。
真備中では生徒の多くが被災している。
真備中は昨年7月の豪雨で3階建て校舎の2階までが浸水したため、2学期から
倉敷芸術科学大の講義室を借りて授業を継続、10月からは真備東中の
グラウンドに建てたプレハブ校舎を使っている。
●愛媛県の愛南町では、早くも田植えが始まっている。
南宇和郡愛南町と宇和島市は、温暖な気候を利用したお米の早期栽培が盛んな地域。
(写真:南海放送様)
愛南町では、およそ400軒の農家がお米の早期栽培を行っていて、通常のお米より
約1か月半早い、お盆の時期に収穫ができ、2割ほど高い値段で取引される。
●愛媛県宇和島市大浦の元農家民宿「無門共楽舎」で3日、華やかな
ひな人形を展示する「お雛様祭り」が始まった。
(写真:愛媛新聞様)
豪華な七段飾りや西日本豪雨の被災者が寄贈したひな壇などが並び、
古民家を彩っている。30日まで。
●法律相談に関して下記は、しばらく掲載。
法律相談は6月29日までの正午~午後4時、
専用電話(0120―888―769)で、無料で受け付け。
(山陽新聞様)
災害でローンの返済が難しくなった人のため、
破産せずに債務を減免できる制度の「ガイドライン」もある。
問い合わせは岡山弁護士会(086・223・4401)
4月4日現在・その他の相談機関。↓
【生活支援窓口案内】総務省岡山行政監視行政相談センター
平日午前8時半~午後5時15分、来所と
同センターフリーダイヤル(0800―3002100)で受け付ける。
【住宅修理・建設】県建築士会などは、建築士が住宅の修理・再建に関する
相談を電話や現地訪問で受け付ける。工事業者の紹介も可能。無料。
被災者専用フリーダイヤル(0120―783719)
▽新規建設、補修資金の融資の相談は住宅金融支援機構が
コールセンター(0120―086353)。
【住宅ローン】借入先の同意があれば、返済の免除や減額の仕組みがある。
各借入先や、銀行の場合は全国銀行協会相談室(0570―017109)。
【年金】納付や免除に関する問い合わせを受け付けている。
被災者専用フリーダイヤル(0120―010551)。
年金手帳・証書を紛失した場合、再発行が可能。
年金ダイヤル(0570―051165)か近くの年金事務所。
【金融】財務省中国財務局岡山財務事務所は平日午前9時~午後5時、
2018年7月豪雨災害相談ダイヤル(0120―99―0028)で
金融機関との取引に関する相談を受け付ける。
●豪雨の多くの地域でボランティアが必要とされている。
平成30年7月豪雨に関する災害ボランティア・支援情報 ←こちらから
【北海道地震】
●北海道知事選で現職では最年少、全国の歴代知事で4番目の若さで
初当選した前夕張市長の鈴木直道さん(38)は投開票から一夜明けた
8日朝、札幌市中央区の事務所で与野党一騎打ちとなった選挙を振り返り、
当選から一夜明け、笑顔で新聞を手にする
鈴木直道さん
(写真:毎日新聞 竹内幹様撮影)
「(相手の)訴えで多くのことを学んだ。北海道が良くなるよう、
道民の期待に応えられるよう、謙虚に実直に取り組む」と意欲を語った。
●札幌市長選で再選を果たした秋元克広さん(63)は一夜明けた8日朝、
記者団に対し
(写真:北海道新聞 大島拓人様撮影)
「60万票以上の票の重みを感じ、
次の4年もしっかり仕事を担いたい」と決意を述べた。
電話でも確認を 0145-27北海道庁への災害見舞金の寄附について ←こちらから
●酪農家への義援金
口座名義:中酪胆振地震他災害酪農義援金
金融機関:農林中央金庫本店
口座番号:普通 7509890
【東日本大震災】
●7日開通した気仙沼大島大橋。
架橋を半世紀にわたり待ち続けてきた宮城県気仙沼市の大島の島民は、喜びに沸いた。
(写真:河北新報様)
笑顔で気仙沼大島大橋を渡る島民ら=7日
島民や観光客の足として親しまれてきたフェリーの定期航路は、110年の歴史に
幕を下ろした。
夜間や東日本大震災時に運航してきた臨時船も役割を終えた。
島は東日本大震災の津波に襲われ、山火事も発生。フェリーの運航が途絶えて
食料などの救援物資が届かず、離島の現実を突き付けられた。
「震災の時は島が孤立し、絶望的な気持ちになった。橋の開通によって救急搬送の
面も改善され、救える命が助かる」と。
●福島県浪江町では原発事故による避難先から戻った児童などが町内で
学校生活をスタートさせた。
なみえ創成小学校は、浪江町の広い範囲で避難指示が解除されたことを受けて
小中一貫校として去年4月に開校した。
(写真:テレビ朝日様)
学校には避難先から家族が戻るなどした6人が入学したほか、
2人の児童も転入して全校児童は14人になった。
●浪江町苅宿の標葉(しねは)神社の復興祭は七日、同神社で東日本大震災と
東京電力福島第一原発事故後初めて催された。
参加者が復興加速と帰還促進を願った。
(写真:福島民報様)
標葉神社では原発事故前、例大祭を毎年11月に催していた。
今回の復興祭は例大祭に代わる行事として、境内に建てた
「郷土復興祈願の碑」除幕式と合わせて企画された。
●多くの犠牲者を出した岩手県陸前高田市に26日、津波発生を想定した避難路と
なる市道が完成する。
震災で長男を亡くした浅沼さんは、仲間と記念碑を建立し、街路にハナミズキを
植えて高台への避難を訴える。植樹は今秋の予定。
(写真:河北新報様)
避難市道の全線開通を待ち望む浅沼さん
「この道があれば、かなりの人の命が助かった」と考えるようになった後、
市の復興計画に避難市道の整備が盛り込まれた。
2013年5月に仲間と「ハナミズキのみちの会」を設立し、整備を後押しする
署名運動や植樹の準備に奔走。
ハナミズキの花言葉は「永続」「返礼」「私の思いを受けて下さい」
母の日の5月12日には、市道の起点で記念碑の除幕式がある。
碑には「この道を、より高い所へ、駆け上がれ!」と刻む。
●いわき市の小川諏訪神社境内にあるシダレザクラ(推定樹齢500年以上)が
6日、満開を迎えた。
(写真:福島民友様)
境内ではしだれ桜祭りが始まり、訪れた市民らが夜の花見を楽しんだ。14日まで。
●宮城県涌谷町の大橋信夫町長が死去したことをうけ、町の選挙管理委員会は8日、
次の町長選挙の投票日を5月26日とすることを決めた。
(写真:仙台放送様)
大橋町長は4月4日、自宅近くの山林で意識がない状態で見つかり、
その後、死亡が確認された。
【熊本地震】
●「今回は負けてはいけない戦いだった。益城町をはじめ、上益城郡の
復旧復興を4年間で道筋をつけてやり遂げたい」。
2度の震度7に見舞われた益城町を主地盤とする自民現職の大平雄一さん(53)
大平さん
(写真:熊本日日新聞様)
4選を決めた自民現職の増永慎一郎さん(55)は前回に続きトップ当選。
「地震からの復旧復興が一丁目一番地という訴えを理解してもらった」。
ただ、地元の御船町や山都町で前回より得票を落とし、
「初心に帰って住民の声を拾い、取り組んでいく」と。
【地震】
yoshihide-sugiura様が、地震の事は、詳しく書かれている。
●4月8日22時22分頃 震度2 浦河沖
●4月8日21時34分頃 震度1 福島県沖
●4月8日14時23分頃 震度1 千葉県東方沖
●4月8日13時13分頃 震度2 沖縄本島近海
●4月8日07時29分頃 震度1 日向灘
●4月8日03時00分頃 震度2 宮城沖
※下記の災害ボランティア情報で、ボランティアの確認を。
今、日本での災害で苦しんでいる方々がいる。
関心を持ち続けていただけたら、幸いだ。
(私は阪神・淡路大震災で被災したので、他人事とは思えない)
↓被災体験の悲しみは消えることはない。
被災地の報告~悲しみを乗り越える感謝 ←こちらから
4月8日は 被災地の報告~92歳の使命・桜公園の労 で使命を。
使命は誠実に生きる中から、進んでいく。
【使命】は、自分の仕事に責任を持つ中で果たしていける。
4月7日に、気仙沼大島大橋が開通した。
それまで、110年以上にわたって、島と本土を結ぶため、定期航路が活躍してきた。
しかし、橋が開通した事により、船の運航の歴史は幕を下ろした。
定期航路は1906年に、手こぎ船を個人が始めた。
1948年に現在の運航会社大島汽船が出来て、
島から本土に通う島民の生活を支え続けた。
大島 浦の浜港発の最終便は、4月7日18時20分発の「フェリー亀山」
大島汽船の定期航路・大島発最終便を
涙を流し、見送り涙を流す島民
4月7日
(写真:河北新報様)
5色のテープでつながった定期航路の船に向かい
「ご苦労さん」「ありがとう」と大きな声を上げた。
島民に見送られて出航する大島汽船の大島発最終便
4月7日
皆、涙・涙で、別れを惜しんだ。
さて、定期便とは別に、定期便終了後の夜間に運航を務めた、
臨時船「ひまわり」という船がある。
「ひまわり」も約50年間、夜間や緊急時の島民の足であった。
東日本大震災直後は8カ月間、「ひまわり」は無償で運航した。
「ひまわり」の船長は、76歳の菅原進さん。
大島中学を卒業後、マグロ漁船などに乗っていたが、1968年にヨシ子さんと
結婚したのを機に、1970年から、定期船終了後の夜間などに運航を始めた。
大島でお葬式があると、ご遺体を大島から本土に運んだ。
また、出産間近の妊婦さんを乗せ、船内にお湯とたらいを準備したり
夜中の急病人を本土の病院まで運んだ。
早朝の仕事に備えて、ビールケースの上に毛布を敷いて、
船に寝泊まりしたことも数えきれない。
2011年の震災の時は、港に係留されていた「ひまわり」に飛び乗って
沖合に出た。
壁のような大津波が押し寄せてきたが、懸命な操船で乗り切った。
翌朝、島に戻ると、港はがれきで埋まり、自宅も全壊していた。
本土と島を往来する定期便のフェリーも被害を受けていた。
島の人が海を渡るための交通手段は全て「ひまわり」に託された。
ご自身も大変な中で、島民のため2日後の3月13日には船を動かしたという。
(写真:読売新聞 冨田大介様撮影)
東日本大震災の発生から6日目の気仙沼港。
たくさんの荷物を手にして大島行きの「ひまわり」に
乗り込む人たち=2011年3月16日
島の人の食料や救援物資などを運び続けた。
運賃を支払おうとする乗客には「金はいらない。一緒に頑張ろうよ」と励まして。
フェリーの運航が再開されるまでの約20日間、孤絶した離島と本土をひたすら往復。
その後も、8カ月間、「ひまわり」は無償で運航したときく・・・・。
島の人たちのために・・・。
頑張っていた菅原進さんだが、2014年夏に、疲れがとれなくなり、
病院で診断すると前立腺がんが見つかった。
医者からは手術を勧められたが「船を動かす」と断り、
放射線治療を受けながら、船のかじを握り続けたという。
夜の足や緊急は「ひまわり」が頼りなのだから・・・。
「ひまわり」は4月6日の夜の運航が、最後の運航になった。
最後の運航の前に、菅原船長をねぎらおうと、島民約100人が船着き場に集まった。
集まった島民と握手を交わす臨時船
「ひまわり」の菅原船長=6日午後7時30分ごろ
(写真:河北新報様)
妻のヨシコさんから、花束をもらうと、少し涙を浮かべた菅原船長。
震災にも病気にも負けず、船を動かし続けた菅原船長船長は
相棒の「ひまわり」に
「ご苦労さん、長い間、用頑張った。明日からはゆっくりしような」
と声をかけて相棒をねぎらった。
菅原船長は
「ありがとうと声を掛けられるのがうれしくて、50年間続けられた」と。
菅原船長と「ひまわり」のお陰で、救われた命、緊急時に助けられた
人たち、震災の時助けられた人達がどれだけいらっしゃるだろうか?
8ヶ月、無償で船を出し続ける事も、使命と愛情があってのこと。
私は涙が出て仕方がなかった・・・。
そして
この功績を残そうと奔走するのが大島出身の66歳の菊田栄四郎さん。
「臨時船『ひまわり』を保存する会」を結成し、募金活動を行ってきた。
菊田さんは
「島民の命を救った船。大島に震災遺構がほとんど残っていないなか
『ひまわり』で震災を伝えたい」と話す。
常に太陽の方に向かって咲くヒマワリの姿が
「どんな時でも明るく前向き」だと思い、
自分もそうありたいと、船名にした菅原さん。
最終の運航を終え、ほっとした笑顔を見せた=6日
(写真:読売新聞 鈴木毅彦様撮影)
震災直後、生まれたばかりだった娘を抱いて
「ひまわり」で大島に帰ることができたという母親。
ふたりは最終便の船内で
「お世話になった船に乗れて良かった」と=6日
(写真:読売新聞 鈴木毅彦様撮影)
相棒の「ひまわり」は菅原さんの自宅近くに保存される予定だという。
「仕事に使命を持つと
責任と喜びが大きくなり
人を救い助け生かしていく
そこには感謝があふれ
幸せにする力を持つ
(by happy-ok3)」
今回の橋の開通によって救急搬送の面も改善されていく。
もちろん、船で交流していた島民たちの交流がなくなったり、
渋滞が起きた場合のマイナスの面も、否めないが、開通は喜びだ。
「島と唐桑に反り橋かけて 渡りたいぞや只(ただ)一度」
島の人達は橋への感謝を込めて、昔から伝えられてきた島甚句(じんく)の
一節を、開通式典後に橋を歩きつつ、声高らかに歌った。
橋は、1967年策定の宮城県勢発展計画に初めて盛り込まれて以来、
半世紀後の待ち望まれた、実現なのだ。
大島は東日本大震災の津波に襲われ、山火事も発生した。
船の運航が途絶えて食料などの救援物資が届かず、震災の時は島が孤立して
多くの人が不安になった。
離島の厳しい現実の中、震災の2日後から、ご自身の家も全壊したのに
ひまわりを運航させ、島の人の生活を支え続けた、菅原船長!
背後には、奥様の支え、そして島の人たちの感謝が、パワーになっていたのだろう。
使命を持った力強い仕事は、自分にも周囲にも感謝をあふれさせる!
使命がある場所には、大きな力も顕れる。
使命の力は、人を支える。
使命は損得なしに、人を励まし生かす!
今日も【置かれた場所で使命を果たす】happyな1日に。
いつも、皆様の励ましに、心から感謝いたします。
今日も、被災地の方々が守られる事を、祈りつつ。
支援と祈りを献げる者で、ありたい。
被災された方々に応援の心と手を!
どうか、心と魂に癒しの力が、届けられますように!
イジメや虐待、DVなどで、追い詰められるなら、避難して、
別の道・方法を探して、どうか命を大切に新しい、しあわせな道へ。
被災地の報告が加わって、長いブログになっているが
お読み下さり、コメントを下さって心から感謝いたします。
毎日変わる被災地情報、コツコツ書いていますが頑張っている被災地の方々のこと、覚えたいです。
皆様の今日の1日の時間が、素晴らしい時間である事をお祈りしています。
今日という日は、あなたに新しいラッキーな1日だから!
今日のラッキーを探そう←こちらから
あなたというかけがえのない存在が、あなただけの素晴らしい光を
今日も輝かせて欲しいと祈ります!
★下記に、ボランティア情報、赤十字社、トラブル回避を。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
お誕生日
今日 4月9日がお誕生日の方、おめでとうございます。
お誕生日がいつの日であれ、今生かされていることが、
誕生の時間からの、私たちへの素晴らしい贈りものだと思います。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
●災害ボランティア情報 平成30年7月豪雨←こちらから
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
イジメ相談
【いじめ相談窓口】
●ふくしま24時間子どもSOS 電話 0120-916-024
●「東北いじめ総合支援センター」電話相談 080‐3320‐8844
●全国共通・24時間子どもSOSダイヤル 0120-0-78310 (全てのイジメに)
●189=年中無休、24時間
●チャイルドライン 0120-99-7777=月~土曜日の午後4~9時(18歳まで)
●子どもの人権110番 0120-007-110=平日午前8時半~午後5時15分
(全国の通信制高校もここから探せる)
★全国から高校中退者や発達障害の子どもたちを
受け入れている 北星余市高校 ←こちらから
大切なあなたが今日も 幸せで笑顔でいてほしい。
あなたは素晴らしい人なのだから!
あなたは大切な尊い人!だから。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
過労死110番
各地の110番の電話番号は「過労死110番全国ネットワーク」←こちらから
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ここからは、鳥たちの事に。(#^.^#)
それから、☆も、読者登録機能というものも、ないようです。ごめんなさい。
コメント欄にお名前が出ない事がございます、お名前を記して頂けると嬉しいです。
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被災地の報告からお読み下さり今日しかない、1日を、皆様に感謝いたします。
いつも、よしき君の放鳥の時間は、あとにずらします。
その時、他の仔のほうを向くと、焼きもちを焼いて手をすこ~し かじります。
その時間は、よしき君の方を向く時間のようです。
(#^.^#)
えがお~。
えがお~。
なかよし~。
なかよし~。
みんな、今日も素敵な笑顔をありがとう!
いつも、皆様からの励ましを心から感謝します。
命の歌(歌詞つき)素晴らしい歌!↓
今日も皆様がhappyな優しい気持ちで、
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Copyright2018実祝プランニング
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ぽちっ!と押して頂けたら嬉しいです。(#^.^#)
おはようございます、happyさん。
スフレです。
>相棒の「ひまわり」は菅原さんの自宅近くに保存される予定だという。
ほんとうによかったです(#^.^#)。
菅原さんはほんとうにやさしくてあったかい方ですね(#^.^#)。
定期便フェリーさんたちも「ひまわり」さんも
ほんとうにいままでありがとうございます(#^.^#)。
きょうもhappyさんほんとうにありがとうございます(#^.^#)。
やきもちをやいてhappyさんの手をすこしかじるよしきくんがかわいいです(#^.^#)。
晴れちゃん、誉くん、たつきくん、よしきくん、
きょうもえがおをほんとうにありがとう! (#^.^#)
みんなげんきでいてください。
おからだにきをつけてくださいね。
いい一日になりますように(#^.^#)/。
スフレさま、こんにちは。いつも感謝します。
今まで、フェリーと、夜のひまわりがあったからこそ、島の方々は、助けられてこられたのですね。
橋の開通の陰で、こんな大きな労があったのですね。
菅原船長さん、お身体、大事にして頂きたいです。
いつも本当に有難うございます!
大島開通の陰で!
あーなんと素晴らしい。
船長さん、お疲れ様でした。
親方さま、こんにちは。
いつも感謝します。
このような、素晴らしい労があったのですね。
震災後、新しい道路や道が出来て、多くの方が助かっていかれること、
嬉しいです。
いつも本当に有難うございます!
happyさん こんにちは。
夜間や緊急の運航「ひまわり」。震災直後8ヶ月無償を続けられた菅原船長に頭が下がります。ご自身も被災されているにも関わらず、燃料費やメンテナンスは欠かせないので、持ち出しが たいへんだったことでしょう。
強い意思を持ち、続けていく行動の大切さを思います。
陸前高田市の浅沼さんたちのハナミズキの避難路や、関空の連絡橋の全面復旧など 必要な生命線を作ったり、復旧させるには 時間とお金と労力が とてもかかるのですね。
改めて 考えさせられるお話でした。
happyさん いつもありがとうございます。
snow36さま、こんにちは!いつも感謝します。
夜間や緊急の運航「ひまわり」は、どれだけ、多くの方の命を救った事でしょう。
震災後は、昼間に動く定期便のフェリーが動けなかったので、物資を運ぶための協力をされ、
島の方々の命がつながれたのですね。
>「陸前高田市のたちのハナミズキの避難路や、関空の連絡橋の全面復旧など 必要な生命線を作ったり、復旧させるには 時間とお金と労力が とてもかかるのですね。」
仰る通りです。
復興の事業に批判的な方も、いらっしゃいますが、ハナミズキの避難路は、震災前にこの道が、もしあれば・・・・助かった命も沢山あります。
浅沼さんは、震災で息子さんを亡くされています・・・・。
snow36さま、いつも、大切な事柄を深く優しく、お読み下さり、受け留めて下さって、心から感謝します。
関空の連絡橋も、壊れてからは、多くの方の生活が苦しくなる事態にまで、追い込まれました。
無事に復旧出来て、よかったです。
背後の人達の目に見えない苦しみを、私も、さらに理解出来たらと思います。
いつも本当に有難うございます。
島民の為にご尽力された菅原船長さん、なんて素晴らしい方でしょう。
お身体の具合が悪い時までも、待っている方の為に使命を貫く、頭がさがります。
そしてそんな素晴らしい方の話を伝えて下さったhappyさんにも感謝です。
ありがとうございます。
HANAさま、こんにちは!いつも感謝します。
>「お身体の具合が悪い時までも、待っている方の為に使命を貫く、頭がさがります。」
仰る通り、私も敬服します!
中々出来る事ではありませんよね。
どれだけ多くの人が、心強く、助けられてきた事でしょう。
お身体を大事にされて、ひまわりと、少しゆっくりして頂きたいですね。
いつも本当に有難うございます。
happyさん、こんにちは^^
今日も被災地のご報告、ありがとうございます。
橋の開通は悲願だったんですね、とても喜ばしいことです。
そしてずっとずっと支え続けていた菅原船長、頭が下がります。何という使命感!震災の時には無償と、ご自身も被災していながらもその心意気には胸を打たれますね。更には病気をおして船を動かし続けるなんて・・・このエピソードに出会えて良かったです、ありがとうございます(T-T)
仕事に対する使命、無償で無欲な純粋な気持ちがそうさせるんでしょうね。なんだか関わった人達みんなが良い影響を受けてそうで、心が温かくなりますね*^-^*
とるて 様、こんにちは!
橋は、半世紀にわたっての、悲願でした。
50年、夜や緊急時、病気の方のために、頑張ってこられた菅原船長。
すごい方だと思います!
>「仕事に対する使命、無償で無欲な純粋な気持ちがそうさせるんでしょうね。」
仰るとおりです。
>「なんだか関わった人達みんなが良い影響を受けてそうで、心が温かくなりますね」
こう言う方と、交流をされている島の方々は幸せですね。
いつも本当に有難うございます。
happy-ok3様、こんにちは!
菅原船長のお話、とても感動的でした。
時に自分の命をかけてでも使命を果たそうとする人がおられますが、どうしてそこまでできるのだろうと思うような強さを持っておられますね。
そうした行いと、それをやり遂げた方は人々の宝となって心の中に残り続けていきますね。
素晴らしいことをなさったと思いました。
happy-ok3様が船長のような立派な行動を一人でも多くの人に伝えていかれること、たいへんに価値のあることと感じます。通常の報道では残念な話ばかりですから・・・^^;
今日もありがとうございました今日は暖かかったですが、また寒くなることがあるそうです、どうぞお体に気をつけてください^^それでは、また。
MT6538さま、こんにちは。いつも感謝します。
時に自分の命をかけてでも使命を果たそうとする人は、素晴らしいです。
そして、皆さん感謝していても、それを形にするまでには、中々行動が出来ないのですが、
66歳の菊田さんが、残すために、募金活動や、積極的に動かれた事も、素晴らしいです。
私は、自分も被災したので、想いがあります。
それも、使命の一種だと思います。
明日は、寒くなるようです。
いつも励まして下さり感謝します。
いつも本当に有難うございます。
こんにちは、happyさん。
気仙沼大島大橋の開通で皆様の笑顔が見られほっとしました。
そして臨時船ひまわりの菅原船長さん。お疲れ様でした。
大病を押しての献身的な働きに涙が止まりません。
相棒も近くに保存されあとは病気を克服してほしいですね。
今日も素敵な記事をありがとうございました。
ライダーマンさま、こんにちは。いつも感謝します。
気仙沼大島大橋の開通、半世紀にわたる悲願でしたね。
>「大病を押しての献身的な働きに涙が止まりません。」
私もです。
書きながら、涙が出て止まりませんでした。
この感動を形に残そうと奔走された菊田さんも、素晴らしいですね!
仰る通り、ご病気を治され、これからは、奥様とゆっくり過ごして頂きたいですね。
いつも本当に有難うございます。
こんばんは。
「ひまわり」の菅原船長さんのお話、素晴らしいですね。
大変な中、無償で人々の為に良い行いをされて凄いと思います。
よしき君の放鳥、ずらされるのですね。
その間、カゴの中の鳥ちゃんたちは「出して~」とやきもち焼きませんか?
うちは1羽飼いなので、ずらして放鳥するという感覚が分からないのです。
放鳥、ずらすと時間が長くて大変という事はないでしょうか?
ぴーちゃん様、こんばんは!いつも感謝します。
菅原船長さん、私は、涙が止まりませんでした・・・。
使命を持って善い行いを、喜んで提供される方は、強いですし、善い中身が詰まっています。
菅原船長さんは、大島中学を出て、働いてこられましたが、大学を出たからといって
こう言う事が出来る方はどれだけいらっしゃるでしょうか?
学歴ではなく、人間の中身ですよね!(#^.^#)
中に善いものが詰まっています!!!!
よしき君は、一番若いし、まず、ご飯を食べるので、他の仔たちが放鳥の時間は、ご飯を食べています。
だから、最後に、出します。
他の仔たちは、遊んだ後なので、出して~とは言いません。
時間は、それは、何羽かいたら仕方がないです。
(#^.^#)
でも、よしき君といる時間は、鳥たちの部屋にいますから、それはそれで、嬉しいようです。
いつも本当に有難うございます。
こんばんは。
小川諏訪神社境内の枝垂れ桜は見事ですね。
長い年月風雪に耐えて咲く桜の美しさに感動です。
人間の存在がちっぽけに感じました。
菅原船長さんと相棒の「ひまわり」に長年の労をねぎらいたいです。
地元民の足として病を押しての運行・・・並大抵のことでは出来ないと思います。
奥様の支えも大きかったと思いました。
miyotya さま、こんにちは。いつも感謝します。
小川諏訪神社境内の枝垂れ桜、素敵です。
500年の樹齢ってすごいですね。
多くの方の希望にもなりますね。
菅原船長さんの働き、素晴らしいですね!
仰るように、奥様の陰での支えは大きいと思います。
ご病気をおして、頑張っておられる中、奥様は心配され、支えられてきた事でしょうね。
ひまわりを、残すことに奔走された菊田さんも、素晴らしいです!
いつも本当に有難うございます。
悲願の大島大橋開通は、大変便利になると同時に心の支えとなるでしょうね。
菅原船長さん、桜の別部さん、大島医師・・・その他にもhappy-ok3さんが教えてくれたそれぞれの、ひたむきな行動は身震いするほど素晴らしく思います。
そこには感謝の輪が広がり、それぞれの立場で協力も起きるでしょう。
また新たな行動も起きるでしょう。
私自身も、自分はまだまだと想う気持ちが膨らんできます。
よしきちゃんをはじめ、小鳥さんたちも仲良く暮らしているようで何よりです。
いつも素晴らしいブログに感謝いたします。
居候の光 さま、こんばんは!いつも感謝します。
>「悲願の大島大橋開通は、大変便利になると同時に心の支えとなるでしょうね。」
多くの方が、実際に渡って、喜んでいらっしゃいます。
大島の森田医師の素晴らしい働きから、使命の大切さを、私自身もさらに深く感じました。
別部さんや、菅原船長さんの今の、お働きが、同じ時にございました。
被災地の事を毎日お伝えするのは、大変でないと言うと嘘になりますが、でも、同じ日本の中に居て
被災地の事を少しでも、知って頂き、応援して頂きたいと、切に願い、祈ります。
報告はごく1部かもしれませんが、それでも、と思います。
92歳の別部さんを見ると、私など、まだ、小僧です。(#^.^#)
復興に関し、陰にある多くの人達の、切実な気持ちがございますよね。
陰で頑張っておられる方々に、エールを送りたいです!
拙いブログを励まして下さり感謝します。
いつも本当に有難うございます。
気仙沼大島大橋開通。
長い間慣れ親しんだフェリーに対する愛着があるのは当たり前です。でも、橋で町と町がダイレクトに繋がる便利さに、島に人たちはどれほど助けられるかと思うと本当に良かったと思います。
臨時船「ひまわり」
夜間、緊急時の島民の足を50年間続けた船長夫妻。これは船長夫妻だからできた事です。
そして、震災後8か月無償。「火事場泥棒」の様な人たちもいる。どんな時にもお金のことだけを考える人たちもいる。でも、菅原夫妻はそうではなかった。どれ程沢山の人たちが「ひまわり」に助けられた事でしょう。人々の菅原さんに対する感謝は、夫妻にとっての大きな贈り物だとおもいました。
よしき君はそんな鳥なんですね(ニヤニヤ)
今日も小鳥ちゃん達元気でね。
ururundoさま、こんばんは!いつも感謝します。
橋の開通は、半世紀にわたる願いでしたから、皆さん嬉しいでしょうね。
と同時に、頑張ってくれた、船への愛情や寂しさは、あって当然ですよね。
>「これは船長夫妻だからできた事です。」
私も同じく、そう思います。
純粋なお心の持ち主なのだと思います。
ひまわりと菅原船長がいたからこそ、島の人達は、何かの時は、安心でき、信頼できたのだと思います。
産気づいた妊婦さんを乗せた時は、心配だったでしょうね。
よしき君は、一番最後まで待ってくれ、それから遊びますから、よそ見は禁物?なのです。
(#^.^#)
いつも本当に有難うございます。