バレンタインを前に~消極的愛&孔子、釈迦、キリスト
2月9日(火) 曇り2月からブログのデザインを変えました。
『愛は思いやり。』実祝プランニング語録
バレンタイン・デーを前に、愛について考えてみたい。
親切にする事は、積極的な愛だが、「不親切にしない、困ることをしない」これは消極的な愛だ。3大聖人といわれるキリスト・釈迦・孔子もこれらを説いている。
孔子の論語に「己の欲せざる所は人に施すなかれ」とある。思いやりがあれば、人がしてほしくない事は積極的にはしない。これは一生守るべき言葉。と弟子の子貢(しこう)に教えたとか。
釈迦は「滋無量心(じむりょうしん)」と全ての人に深い友愛の心を限りなく持つことを絶えず説いた。
この[量心]=[限りなく持つこと]は他にも「非無量心(ひむりょうしん)=共に悲しみ苦しむ心」
「喜無量心(きむりょうしん)=幸福を見て喜ぶ心」
「捨無量心(しゃむりょうしん)=執着をすて人々に施す心」等がある。
キリストは、「クリスマスの12日の8日目,2010年1月2日のブログ」に書いたよう、8つの幸福を説き、
聖書のルカ6:31には「自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい」と言われる。
そして3聖人ともに、ここに祈りを置くように説いている。
今、いじめを苦に自殺してしまう若い人も多い。インターネットが利用しやすくなったのはいいのだが、面とむかって喧嘩ができなくなり、陰湿な鬱憤ばらしにそれらが使用されている。社会人の世界でも、スパムメールや、真面目にブログを書いている人を困らせ、誤解させて追い込んでいくという事がある。
やっている人は卑怯なやり方で、ご自分の感情を発散させている。それらで悩んで病気になったり、自殺に追い込まれる人々も実際にあると聞く。
「卑怯な悪を行わない」こと。それは愛の消極的な側面でもある。
口でいくら綺麗なことを言っても神はそれが本物か偽者かを必ず見られ、神は黙っていない。『悪者のいけにえは主に忌みきらわれる。正しい者の祈りは主に喜ばれる。聖書箴言15:9』明日からは嬉しい?バレンタイン・デーについて。お楽しみに!★★★Copyright2010 実祝プランニング ※アダルト的内容とは一切関係がないのでそのようなコメント及び不適切なものは遠慮をさせて頂きたくお願いいたします。