希望を探す、クリスマスの12日の2日目その2

2010年1月10日(日)晴れ
『大事に守るものは、希望が置かれているところ。』実祝プランニング語録
「クリスマスの2日目、愛するあの人がくれたのは、2羽のキジバト、梨の木の中のヤマウズラ。」
1日目の贈り物の上に2日目の贈り物を積み重ねている。これは12日目まで続く。1つ1つの贈り物が次の贈り物への
橋となっているのだ。
2羽のキジバトは、旧約、新約の二つの聖書を示す。キジバトのつがいは生涯、離れない。
お互いがなくてならない、存在である。旧約の約束は新約で実現した。新約は旧約の引用が多い。どちらもが、お互いを裏打ちしている。
旧約聖書は、人間の罪をあらわに描いている。罪の歴史書でもある。
神が罪の基準を大きく10に分けて定めたものが十戒。昔、律法を守る人達は248のなすべきことと、365のしてはならないことの613個もの戒めにまとめた。しかし、完全にそれらを神の前に守りきれる人がいるだろうか?だから赦してもらうために傷の無い小羊をささげていた。
新約聖書で、罪への刑罰をイエス・キリストが十字架で負うことにより、罪からの救いを与え、小羊になられた。
ここで履き違えてはいけないのが、赦されたら何をしてもいいのかということではない。赦しの上にアグラをかいてはいけない。
心が変えられると、自然に生活も変えられる。
聖書は1日目のイエス・キリストについて証言している。「その聖書が、わたしについて証言しているのです。ヨハネ5:39」親がクリスチャンだから、身内に聖職者が居るから、~だから等等は、神の前には関係がない。残念ながら、それらを利用している人もいる。だからといってその人たちに躓かないことだ。
そういうコネにぶら下がり、自分の立場のみを有利にしようとするなら、人も神も悲しむのだ。
けれど、神はそれらを全て見ておられる。聖書はそれらが正しいことか否か、回答を出している。
わたし達に必要な事は、神の聖を聖書の言葉によって信じ、理不尽なことのある中でも、真っ直ぐ歩ける力を神から頂けるよう祈り、聖書の言葉を大事に道しるべにできたらHAPPYだ。
『どのようにして若い人は自分の道をきよく保てるでしょうか。あなたの言葉に従ってそれを守ることです。詩篇119:9』続きは明日のお楽しみ★★★Copyright2009 実祝プランニング

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