サン・ガルガーノの聖なる剣 その4
11月19日(木)曇り
『史跡は不思議な事実を物語り、希望を置いている。』実祝プランニング語録
ガルガーノは1年で召されてしまったのに教会は建てられたのか?なんとガルガーノが葬られた周囲の土地に、「ガルガーノの墓」という名目で、1182年に筒状の礼拝堂が建てられたという。
そして、1218年には、シトー派の修道会によって、サン・ガルガーノ修道院が建てられたのである。
まず、神を礼拝する場所が最初に建てられたというのが素晴らしい。
その場所で、ガルガーノは、本気で神に自分自身をささげきっていたのであろう。
サン・ガルガーノ修道院は現在は、廃墟となってはいるが、ガルガーノが岩に刺した剣は、800年以上の時を越えても、そこに存在している。だから逸話ではないといわれるのだ。
この剣は、豪華な宝石や装飾は施されていないという。今は、錆びているらしい。この剣を抜いた者は、本物の勇者だということなので、今までも何人かの人が引き抜こうとしたらしいが、抜けなかったという。
今は、そういうことを避けるため、強化プラスチックの覆いがされている。
この剣は、捏造された偽りの剣ではないか?という声も上がった。
本当のところはどうなのか?
続きは、明日のお楽しみ・・・。★★★★★★★★Copyright 2009実祝プランニング
11月19日からは詩篇47編。神を礼拝する賛美は絶えない。賛美は詩篇34篇にもあるよう、試練の中でも沸き出る喜びの源である。その1・詩篇47篇『1節・すべての国々の民よ。手をたたけ。喜びの声をあげて神に叫べ。』詩篇は神殿で神への賛美として歌われたものが多い。専属の歌い手によってこの47篇は、歌われていた歌である。手をたたくのは大きな喜びを表すしぐさ。46篇の10節の更に大きな神の力を拡大していった詩である。人の考え、戦略ではもうこれ以上無理だと思える中、神は勝利を与えられた。私たちが今、たとえ試練の中にいたとしても、苦しみを神に叫ぶと同時に、助けてくださるという喜びを先取りして、喜びの叫びを出すことが出来るのだ。