光の天使のHAPPY 守りと祈り
10月19日(月)晴れ
『守りと祈りは同時に姿を現すこともある。』実祝プランニング語録
車がスピンしだすと、運転者の力では止められない。
カーレースで事故が起きて車がスピンしている状態を思い浮かべるとよくわかる。
スピンした車は、ティミーを倒したのか?なんとティミーの目と鼻の先の位置で止まった。
時間が凍りついたようだった。
車が止まり、ティミーも怖い思いをしただろうが、その何百倍もの恐怖を味わったのは、運転者である。
運転席のドアを開き、運転者が降りてきた。フランクの妻は、怒鳴られ、怒られることを覚悟していた。
急に飛び出したティミーも大いに悪いのであるから。
ところが運転者は車から降りると叫んだ。「奇蹟だ!あの位置からスピンして止まれるなんて、奇蹟だ!!」と。
一番動揺したのは運転者だったようだ。
今はフランクが動揺していた。フランクは妻に訊いた。
「それは、昨日の何時ごろのこと?」
妻は答えた。「昨日、金曜の夕方五時。」
奇しくも、フランクが、押さえがたい不安にさいなまれ、祈った時刻であった。
見えない大きな存在と力は、生きているのだ。続きは、明日のお楽しみ。。。・Copyright2009 実祝プランニング
09’9月25~27日までのブログでパシフィック・ユニオンの学生達が、一生の力となり続けた、詩篇34篇の言葉。長いので、少しずつ、簡単な説明とともに、紹介させていただく。新改訳聖書引用。
その21・詩篇34篇『12節・いのちをよろこびとし、しあわせを見ようと、日数の多いのを愛する人は、誰か。』日数が多いとは、必ずしも長寿や無病息災のことではない。生を大きな存在からこの世に受けたことを感謝し、自分が生かされている使命、意義を理解し、毎日の日々を喜びをもって生活して行く人は「誰か」という問いかけを投げている。幸せの形は一律ではない。現れではなく、魂が活き、生かされている素晴らしさを周囲にも届けられる中に幸いがある。