風評被害と闘う米農家&兵庫から東北に支援
2021年 3月12日(金)
温かい人たちの事実と、被災地の報告と、新型コロナウィルスの内容も。
関心を持ち続け、支援をと願います。
「痛みを知るからこそ、助け合える。」
happy-ok3の、日記の記事は支援などの報告の下に。
ぽちっ!と押して頂けたら嬉しいです。(#^.^#)
【熊本地震で倒壊した淨福寺、本堂再建で上棟式】
●熊本地震で倒壊し再建工事が進められている熊本市東区沼山津の淨福寺で6日、
本堂の上棟式があり、門徒らが無事の完成を祈願した。
同寺は、1571(元亀2)年に改修した記録が残る古寺。
熊本地震で沼山津一帯が大きな被害を受け、本堂などが倒壊した。
上棟式には、同委員会のメンバーら約40人が参加、
棟木に取り付けた紅白の綱を全員で引く「曳綱[ひきつな]の儀」などで安全を祈願。
再建中の淨福寺本堂で、「曳綱の儀」で工事の安全を
祈願する門徒ら=熊本市東区
(写真:熊本日日新聞様)
護持会の光岡和隆会長代行が「地震から間もなく5年で、ようやくここまで来た。
完成後は地域の心や教育、文化のよりどころにしていこう」と。
本堂は夏ごろに完成予定。
【東日本復興に向け、総社市からエール】
●11日、総社市は発災直後から支援を行っている仙台市に対して復興に向けた
エールを送る式典を市役所で開いた。
市職員や西日本豪雨の被災地住民ら約100人が出席。片岡聡一市長が「次の10年、
その先の10年も東日本を思い、仙台を思い、息長く支援していきたい」とあいさつ。
(写真:山陽新聞様)
続いて、仙台市の郡和子市長からのメッセージ動画が流れ、「被災の経験を
風化させることなく、世界の防災文化の向上のために貢献していく。
一緒に頑張りましょう」と呼び掛けがあった。
総社市は震災翌日から延べ47人の職員を救援物資とともに被災地に派遣。
西日本豪雨の際には、仙台市が翌日から職員を総社市に派遣。
出席者全員が立ち上がって拍手を送り、両市の絆を確認した。
【仙台で企画展、写真と映像】
●東日本大震災の10年を写真や映像などで振り返る企画展「星空と路」が10日、
仙台市青葉区のせんだいメディアテークで始まった。
震災の記録と保存、発信に取り組む同館の「3がつ11にちをわすれないために
センター」(わすれン!)が企画した。4月18日まで。
入場無料。展示は16日から会場が7階スタジオに変わる。
被災地の定点写真が並ぶ「星空と路」
(写真:河北新報様)
映像作品の上映スケジュールは
〈13日〉午前10時半「東日本大震災 山元町の記録『忘れまじ この悲しみを』」
▽午後1時半「中野伝承プロジェクト『日和山と中野小太鼓』」
〈14日〉午前10時半「震災記録を見る、読む、囲む-『飯舘村に帰る』
バリアフリー上映の記録」「飯舘村に帰る」
▽午後1時半「今伝えたいこと(仮)」「これから。」「相馬高校から未来へ」
▽午後4時「屋根裏ハイツ『とおくはちかい(reprise)』」
【殉教の消防団員を慰霊、陸前高田市】
●東日本大震災で甚大な津波被害を受けた陸前高田市高田町で、活動中に殉職した
市消防団高田分団第1部の団員11人を慰霊する鎮魂碑が完成し、
現地で10日、追悼法要があった。
新たに建立された鎮魂碑の前で手を合わせる遺族ら
(写真:河北新報様)
鎮魂碑は、分団第1部の屯所があった場所の近くで団員たちを悼むほこらの隣に
設置。流失を免れた半鐘も置かれた。
法要では半鐘を11回鳴らした。
【東北3県で、震災の記憶家庭で話さず、4割】
●東日本大震災の発生当時に5~15歳だった岩手、宮城、福島3県の若年層のうち
約4割が、家庭で震災の記憶や経験について
「覚えていることはあるが、ほとんど話さない」との傾向があることが、
民間調査会社サーベイリサーチセンター(東京)のインターネット調査で分かった。
震災から10年となる。同社は「災害の危機や備えの大切さの記憶が
薄れている世代が、被災地にも増えつつある」と指摘する。
(写真:河北新報様)
調査を監修した東北大災害科学国際研究所の佐藤翔輔准教授(災害伝承学)は
「震災の経験が、若い世代に受け継がれにくい状況になっている。学校や家庭で、
子どもたちに震災体験を直接伝える機会を増やす必要がある」と強調した。
【被災者つないだ松原町内会、100回で幕】
●東日本大震災による被災を乗り越えようと釜石市の松原町内会が毎月開いてきた
交流会「まつばら会」は2011年10月10日に始まった。
地区に仮設住宅は建設されず、被災者は地元を離れるしかなかった。
分散した住民同士をつなぎ、被災者の心のケアと松原町の再生を図ろうと、
お盆がある8月以外の月命日前日に集いを続けてきた。
しかし、復興が進むと、他地区に家を再建する世帯が増え、町内会は約90世帯に減少。
会の出席者は十数人となった。
昨年以降は新型コロナウイルスの影響で休会がちになり、開催しても以前のように
食卓を囲んでの談笑ができなくなった。
高齢化で準備が大変になったこともあり、震災10年で会を終えると決めた。
最後の会は100回目で住民15人が参加した。
まつばら会の思い出を語り合う参加者
(写真:河北新報様)
町内会長は「ばらばらになった住民が100回も交流を続けられたのは誇り。
一緒に集まるだけでストレスの発散になる。人口は3分の1になったが、
大きな役割を果たした」と。
【イスラエルから追悼と支援継続】
●東日本大震災の被災地・亘理町と交流を続けるNPO法人セリアの会(東京)
は10日、同町荒浜地区に復元したプレハブ仮設住宅前で追悼式典を開いた。
山田周伸町長やイスラエル公使ら約100人が参加し、震災の午後2時46分に黙とう。
黙とうする参加者
(写真:河北新報様)
会の理事長でイスラエル系インドネシア人の音楽家セリア・ダンケルマンさんが
「ここは震災を忘れないと同時に、未来に向かうための場所。
これからも一緒に歩んでいきたい」とあいさつした。
セリアさんは震災後、イスラエルから派遣された救援隊と共に亘理町を訪れ、
被災者の心のケアや子どもたちの教育支援を続けてきた。
山田町長らは、大使館から贈られたオリーブを記念植樹した。
イスラエルの先端技術で整備された農園も披露された。
【かっぽう着姿で発見の遺骨、家族の元へ】
●東松島市野蒜で2月に見つかった白骨遺体の身元が野蒜の奥山夏子さん(当時61歳)
と判明し、石巻署は10日、市内に住む家族に遺骨を引き渡した。
長男の英樹(えいき)さんが署で岡島利明署長から遺骨を受け取った。
英樹さんは「発見してくれた方、10年間捜索してくれた方に感謝している」と。
奥山さんの遺骨を受け取る英樹さん
(写真:河北新報様)
奥山さんの遺体は2月17日、海岸付近の会社敷地内で発見された。
かっぽう着を着た状態で地中に埋まり、ほぼ全身の骨がそろっていた。
地表面に出ていた頭の骨に従業員が気付いて通報し、
県警がDNA鑑定と歯型の照合で身元を特定した。
【津波と原発被害の福島県浪江町】
●東日本大震災による津波で多くの人々が犠牲になり、その後の東京電力福島
第1原発事故によって、全町避難を強いられた福島県浪江町。
平成29年(2017)3月に避難指示が一部解除されたが、住民登録のある
約1万7千人のうち、町に戻ったのは1割弱だ。
11日、人々は失った人々を思い、手を合わせた。
東日本大震災から10年。
福島県浪江町の請戸地区で今年、成人式を迎えた
山梨県都留市の前田栞奈さん(右)は、津波で亡くなった
祖父母らの墓前に晴れ着姿の写真を見せた
11日午後、福島県浪江町
(松本健吾様撮影)(産経新聞)
黙祷の間も復興工事で行きかうトラックの音は鳴り続ける。
今月末で閉校する幾世橋(きよはし)小の校舎も取り壊しが進む。
同小から1キロ超離れて新設されたなみえ創成小・中は児童・生徒10人で
始まってまもなく3年。今は30人になった。
建って日も浅い校舎ではこの日、町で何年間も聞けなかった子供の声が響いていた。
【変異ウィルス沖縄で初確認】
●変異ウイルスが全国に拡大している。 11日は、沖縄県でも初の感染が確認された。
新型コロナウイルス感染が確認された8人のうち1人は、感染力の強さが
懸念されているイギリス型だった。
(写真:FNN様)
また、兵庫・神戸市では、2月19日から2週間の新規感染者のうち99人を
調査したところ、33人がイギリス型の変異ウイルスへの感染が判明したという。
一方、首都圏では新規感染者の増加の兆しが見られている。
東京都では、直近7日間平均の新規感染者数が、前の週と比べ、101.5%となり増加。
分科会が懸念を示すリバウンドの兆候が表れている。
【コロナ詐欺に注意】
●詐欺が増え「新型コロナワクチン詐欺 消費者ホットライン」が開設された。
【コロナ禍の中、命を大切に、相談を】
👆 電話をしてほしい。 また、👇も。
【地震】
yoshihide-sugiura様が、地震の事は、詳しく書かれている。
「yoshihide-sugiura様からは、現在、関東は不安定であり、特に家具の
転倒防止を行う、転倒する側にベッドを置かない、等お願いしています」と。
●3月11日22時44分頃 震度1 長野県中部
●3月11日22時43分頃 震度1 長野県中部
●3月11日19時57分頃 震度2 長野県中部
●3月11日16時44分頃 震度2 熊本県熊本地方
●3月11日10時25分頃 震度1 福島県沖
●3月11日08時09分頃 震度1 宮城県沖
今、日本での災害で苦しんでいる方々がいる。関心を持ち続けていただけたら、幸いだ。
(私は阪神・淡路大震災で被災したので、他人事とは思えない)
↓被災体験の悲しみは消えることはない。
3月11日は、イジメの暴走&大熊町会津会&10日間の支援で笑顔を
良く生きるためにお互いの思いやりを。
★★★★★★★★★★
ぽちっ!と押して頂けたら嬉しいです。(#^.^#)
★★★★★★★★★★
福島第一原発からおよそ60キロ。
本宮市のコメ農家・御稲プライマル社長 後藤正人さんは、
この10年は「風評被害」との闘いでもあったという。
「コメの業界というのは、どんどん先が見えなくなってきましたし、震災の影響、
風評ですよね、本当に激動の10年間だった」
(写真:TBSニュース様)
2011年の震災・原発事故で農業法人を立ち上げ順調な経営だった
後藤さんの運命を変えた。
独自の検査で放射性物質が全て不検出でも売り上げは落ち込んだ。
「これ以上、どうしたらいいんだという所まで来ていますよね」
(写真:TBSニュース様)
しかし、風評払拭へ「できることは全てやる」。
首都圏の店頭に立って安全性を直接訴え、数百万円の費用をかけ、
食感測定器や食味計などを購入し、粘りや硬さ、味などを数値化した。
(写真:TBSニュース様)
それを参考に、2つの品種以上を独自の比率でブレンドし、
「おにぎりに合う米」など「料理専用米」を完成。
(写真:TBSニュース様)
積極的に首都圏へ足を運び、商談会でPR。
他のコメ農家とも連携しながら品種も10種類以上に増やした。
福島のコメの価格は震災から8年が過ぎても全国平均を下回っていたが、
独自の販路を増やしていった結果、2019年産の後藤さんのコメは秋の時点で完売。
(写真:TBSニュース様)
しかし『新型コロナ感染拡大』で業務用米のキャンセルが相次ぎ、売り上げが一時、
半分以上減った。 そこで初めて行ったのが業務用米の一般販売。
根強い風評があったが、新しいことに挑戦し続け、「人とのつながり」を
大切にしてきた後藤さん。
10年間の取り組みに「間違いはなかった」と、ひたむきに未来を見据え、
「東北、特に福島県は水が豊富。コメ文化が根ざしていますので、これを
なくすわけにはいかない。私たちも引き継いでいきたい、未来につなげていきたい」
何百年も、東北は米文化が根ざしている。
前向きな姿勢とは、このような姿だと教えられる。
あきらめないで、様々な可能性を探し、実行されてきた。
さて、北海道沼田町は2020年11月、町内の全1500世帯に
特産のコメの新米かトマトジュースを無料配布していった。
これは、東京農業大の渡辺昌客員教授らが発表した
「米食がコロナ感染を抑制する」との論文も参考にした。
渡辺客員教授らは世界19カ国で米の消費量が増えるとコロナ感染者数・
死者数も減るという関係性を明かにした。
理由は、お米と魚を中心にしたアジアの食文化は、腸内細菌がよく働き、
免疫機能が高くなり、感染を抑制しているのではないかという。
私も、お米をよく食べている。(#^.^#)
★★★★★★★★★★
阪神・淡路大震災を知る兵庫の人々は、東北の被災地に手を差し伸べてきた。
「痛みを分かち合える仲間で、復興への力そのものだった」。
二つの震災がつないだ巡り合わせの意味をかみしめる遺族、被災者がいる。
宮城県名取市の64歳の木皿俊克さんは
「女房を亡くしたことで、人のありがたみを知ることができた」と。
2011年3月11日、当時50歳の妻の典子さんを失った。
典子さんは勤務先から車を走らせていた時、津波にのまれた。
遺体安置所で対面したのは1週間後。手に残るやけどの痕で分かった。
喪失感や孤独感が心の中におりのように積もった。
震災から2年後。仙台市で暮らす子どもたちと離れ、名取市の愛島(めでしま)
東部仮設住宅に単身入居した。
震災まで住まいがあった名取市閖上(ゆりあげ)地区の住民が暮らしていた。
そこには、兵庫県からのボランティアが支援のため足を運ぶ場所でもあった。
仮設の仲間に誘われ、2014年1月17日に初めて神戸・東遊園地を訪れた。
揺らめく竹灯籠の火に手を合わせる人々。
「阪神・淡路から19年が過ぎても心に傷を抱えている」と。
災害は違っても、家族を失った悲しみは理解できる気がし、その後、
1月の神戸訪問は恒例行事になった。
新型コロナウイルス禍の前まで、毎年3月11日とお盆には兵庫から支援者たちが
竹灯籠を携えて仮設住宅に訪れてくれた。
市民団体「神戸・心絆(ここな)」会長を務め、昨年4月に享年82歳で他界した
山川泰宏さんは「元気かぁ」と気に掛けてくれた。
兵庫県からのボランティアとの思い出を振り返る木皿俊克さん
宮城県名取市高柳
(写真:神戸新聞様)
「笑顔」の文字がしたためられた竹灯籠は、典子さんの仏壇に供えている。
今年の1月17日はコロナ禍で神戸行きを断念したが、自宅で手を合わせたという。
「前向きになれたのは、阪神・淡路大震災を経験した人々の存在が大きい」 と!
木皿さんと同じ仮設住宅で暮らした名取市閖上地区の58歳の長沼俊幸さんも、
兵庫のボランティアとのつながりを大切にしている。
自宅を津波で流され、4年前に名取市閖上地区で再建した。
地震の発生から1年後、兵庫から来た人々は清掃などを手伝いながら、
震災前の閖上の暮らしを熱心に尋ねてくれたという。
兵庫から来てくれた人たちが阪神・淡路からの復興について語る姿に引かれた。
思い出したくない震災体験を無理に話さなくても、通じ合える安心感があった。
神戸・東遊園地のガス灯
「1・17希望の灯(あか)り」を訪れた
長沼俊幸さん=2014年11月、神戸市中央区加納町6
(写真:神戸新聞様)
長沼さんは震災の語り部として、これまで約20回、兵庫を訪れた。
復興した兵庫県の様子に、支えてくれた一人一人の顔が重なる。
「震災27年目を生きる兵庫に学ぶべきことは山ほどある。
まだまだ未来の復興の話もしたい」
再建した自宅の庭に1本の桜の木があるが、兵庫の仲間から譲り受けたもの。
今年も花咲く日を心待ちにしている。
阪神・淡路大震災という大きな震災を体験し、心ある者たちは、東日本大震災を
他人事とは思えなかった。(もちろん、人によって温度差はある)
3月といっても、東北はまだ寒いからと、自治体は
新しいコートの寄付を募った。
大きな体育館に送付し、そのために志願したボランティアの方々が
梱包を解き、コートを仕分けしていく作業をする事になっていた。
私は、新しいコートをお店に買いに行った。
ところが、普段なら3月は、冬物のコートがセールで並ぶのに、1枚もないのだ。
オーナーに伺うと
「新しいコート、募っていたでしょう。だから、お店にあるコートは、
ほとんど送付したの。切りがいい数字で20着送ったから。」
「えっ?私も、送付しようと、買いに来たのに…。1着も残ってないの?」
「もしかしたら倉庫に1着くらい残っているかもしれないから、みてくるね。」
「1着だけ、残っていたわ。」
そのコートは、軽くて暖かい仕様になっていて、確か黒地に綺麗な色で、
刺繍が施されていた。
「すごく綺麗!買います!送付先の住所、控えてきたらから、直ぐ送ります。」
「直ぐ送るの?それなら、送り状を貼ったら出せるように梱包してあげるわ。」
と言う事で、綺麗に梱包して下さり、その足で郵便局に向かった。
その細やかな温かい思いやり、私は、ずっと忘れていない。
お店は、昨年、閉店されたが、閉店の前にも、お店に行って、
あの時のお礼を申し上げた。
私も仕分けのボランティアにも応募しようと、仕事の調整をしていたが、
ボランティアの枠は、直ぐに埋まってしまった。
阪神・淡路大震災で被災した心ある沢山の者たちは、東北の方々の事を心配し
何かお力になろうと、陰の労をいとわなかった。
お力になりたいと、その労が、感謝な事だった・・・。
★★★★★★★★★
「悲しみや憎しみに囚われず
喜びと感謝につながるなら
積極的に善い支援を運び
平安が満ちる
by happy-ok3」
★★★★★★★★
昨日は、暴走するイジメを書いたが、リアルでも、ネットでも、SNSでも、
ご自分に関係のない事に、争いをわざわざ作り上げ、攻撃、イジメる人がいる。
専門家によると、その方自身が過去に受けたであろう事への怒りや憎しみが
解決していない状態を続けて、囚われ、つながれ、攻撃やイジメを通し
喜びや優越感を得ようとするからだと、言われている。
そこで得る喜びは 本当の喜びではない から、周囲に傷を与えていく。
熊本YWCAに、キャンプのために第2弾として、少しお菓子を送付したことを
熊本に住む友人に話すと「熊本に支援をしてくれてありがとう!」と。
友人は熊本YWCAと関係があるわけではない。
けれど、災害などが起きた時、他府県の方からの温かい支援は嬉しく、力になると。
阪神・淡路大震災から、26年が過ぎたが、被災した者の中の多くは、
悲しみは消えていない。
しかし、その中でも、ボランティアや善い働きを積極的に行う人は、
その悲しみに囚われて、つながれてはいない。
悲しみを理解できるからこそ、支援の手を差し伸べることを「喜び」とする。
この喜びは、周囲にも喜びと助けを、行動に移し与えていく。
医療関係の方々が、支えられますように!と祈り、
そして、復興は半ばである被災地を応援させて頂きたい!!
コロナに私たちが出来る事は、感染しない努力 である。
最前線で頑張っている医療従事者の方に、感謝と敬意をこめた言葉と行動を!
(下記には、イジメ相談の機関・いのちの電話を載せているから、電話をして!)
今日も【本物の喜びを運ぶ】happyな1日に。
いつも、皆様の励ましに、心から感謝いたします。
ボリュームのあるブログをお読み下さり、コメントを下さって心から感謝いたします。
今日の1日の時間の中、あなただけの素晴らしい光を輝かせて欲しいと祈ります!
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お誕生日
今日 3月12日がお誕生日の方おめでとうございます。
お誕生日がいつの日であれ、今生かされていることが、
私たちへの素晴らしい贈りもの、辛い事があっても、今日の生を大切に。
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「いのちの電話」(←クリックすると全国のいのちの電話が)
イジメ相談
【いじめ相談窓口】
●ふくしま24時間子どもSOS 電話 0120-916-024
●「東北いじめ総合支援センター」電話相談 080‐3320‐8844
●全国共通・24時間子どもSOSダイヤル 0120-0-78310 (全てのイジメに)
●189=年中無休、24時間
●チャイルドライン 0120-99-7777=月~土曜日の午後4~9時(18歳まで)
●子どもの人権110番 0120-007-110=平日午前8時半~午後5時15分
●NPO法人BOBDプロジェクト LINE@bondproject 月、水~土の午後4時~6時半
午後7時半~10時 10,20代の女性対象。
★定時制高校
★全国から高校中退者や発達障害の子どもたちを
受け入れている 北星余市高校 ←こちらから
大切なあなたが今日も 幸せで笑顔でいてほしい。
あなたは素晴らしい人なのだから!
あなたは大切な尊い人!だから。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ここからは、鳥たちの事に。(#^.^#)
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皆様から励まして頂き、心から感謝します。感想、よければコメント頂けたら嬉しいです。
昨日も、私の身体は止まり木状態。
誉くんとたつき君は肩に、晴ちゃんは頭の上に。(#^.^#)
出来るだけ、話しかけ、また、出来るだけ、同じ空間にいる時間を長くしています。
今日で、2011年、最大震度6強の3月12日の長野北部地震から10年です。
東日本大震災が、前日の11日だったため、隠れていますが。
今日も、皆様の1日が、素晴らしい日でありますように。
皆様、お身体気をつけてくださいね。
皆様、今日もお身体、大事になさってくださいね。
えがお~。
皆様に感謝~。
ありがとうございました。
なかよし~。
なかよし~。
みんな、今日も素敵な笑顔をありがとう!
いつも、皆様からの励ましを心から感謝します。
ぽちっ!と押して頂けたら嬉しいです。(#^.^#)
※記事を紹介される折はリンクを貼って頂けると嬉しいです。
今日も皆様がhappyな優しい気持ちで、
一日を過ごせますように! GO!
Copyright2018実祝プランニング
おはようございます、happyさん。
スフレです。
きょうもたくさんのいろんな記事を
いっしょうけんめいに書いてくださって
ほんとうにありがとうございます。
>【熊本地震で倒壊した淨福寺、本堂再建で上棟式】
きっと、 これで、ぶじに完成できますね(#^.^#)。
またみなさんのこころの拠り所になってくれると
おもいました(#^.^#)。
>【仙台で企画展、写真と映像】
企画展「星空と路」というなまえがこころにのこりました。
じょうずにいえないのですが(#^.^#)。
>【殉教の消防団員を慰霊、陸前高田市】
殉教されたみなさん、ほんとうにありがとうございます。
こんなことしか言えなくてごめんなさい。
>【東北3県で、震災の記憶家庭で話さず、4割】
おきもち、よくわかります。
自然に自分から言えるようになるまで、待ってあげてほしいと
おもいました。
>「ここは震災を忘れないと同時に、未来に向かうための場所。
これからも一緒に歩んでいきたい」とあいさつした。
未来に向かうための場所 という言葉がこころにのこります。
>【かっぽう着姿で発見の遺骨、家族の元へ】
前に記事でもかいてくださった方なのですね。
割烹着姿だったなんて、きっと働き者のおんなの方だったのかなぁと
おもいました。
遺族のもとへ帰れてほんとうによかったです。
きょうもコロナの状況をありがとうございます。
>福島第一原発からおよそ60キロ。
本宮市のコメ農家・御稲プライマル社長 後藤正人さんは、
この10年は「風評被害」との闘いでもあったという。
後藤正人さん、ほんとうにたいへんだったとおもいます。
前向きにがんばってこられたきもちの強さと
あったかさもかんじました。
もっと、いろんなところで福島の農産物が
買えるようになってくれれば良いのになぁとおもいました。
わたしの地域ではほとんど見かけないからです。
木皿俊克さんのおはなしもほんとうによかったです。
>「前向きになれたのは、阪神・淡路大震災を経験した人々の存在が大きい」 と!
このことばになんにも言えないわたしです。
happyさんが送られたコートのおはなしも
なんかいか記事にかいてくださったので覚えています(#^.^#)。
きもちがあったまるおはなしをありがとうございます(#^.^#)。
きょうもhappyさん、ほんとうにありがとうございます。
コメントがみじかくてごめんなさい。
happyさんちの鳥さんはみんなしあわせですね(#^.^#)。
>今日で、2011年、最大震度6強の3月12日の長野北部地震から10年です。
東日本大震災が、前日の11日だったため、隠れていますが
happyさんにおつかれがでませんように。
それがしんぱいです。
晴さん、誉さん、たつきさん、そして、よしきさんの魂さんも
きょうもかわいいすがたとえがおを
ほんとうにありがとう! (#^.^#)。
いつもげんきをもらっています(#^.^#)。
しあわせなきもちになってにっこりしています(#^.^#)。
happyさん、
くれぐれもおからだに気をつけてくださいね。
良い一日になりますように(#^.^#)。
スフレ さま、おはようございます!いつも感謝します。
>「またみなさんのこころの拠り所になってくれるとおもいました」
仰る通りです!歴史のある淨福寺なので、皆さん、嬉しいでしょうね。
>「殉教されたみなさん、ほんとうにありがとうございます。」
11人の方の鎮魂碑が完成し、皆さんの心の中に、尊く生き続けてくださると思います。
>「自然に自分から言えるようになるまで、待ってあげてほしいとおもいました。」
そうですね・・・。一方で、語り部になる若い方々も増えてます。
>「未来に向かうための場所 という言葉がこころにのこります。」
イスラエルの方々に、感謝します。
>「割烹着姿だったなんて、きっと働き者のおんなの方だったのかなぁと
おもいました。」
ご家族のもとに帰れて、良かったです。
>「後藤正人さん、ほんとうにたいへんだったとおもいます。
前向きにがんばってこられたきもちの強さとあったかさもかんじました。」
仰るとおりです。
この頑張りに、頭が下がります。
美味しいお米、そして、工夫されたお米の数々。素晴らしいです。
「前向きになれたのは、阪神・淡路大震災を経験した人々の存在が大きい」 と!
>「このことばになんにも言えないわたしです。」
励ましあい、支え合うって素晴らしいですね。
>「happyさんが送られたコートのおはなしも
なんかいか記事にかいてくださったので覚えています」
はい、何回か書いています。
私の中では、忘れられない出来事でもあります。
今日で、2011年、最大震度6強の3月12日の長野北部地震から10年です。
長野の栄村ですが、皆さん、大変だったと思います。
今日も鳥たちのこと、感謝します。
スフレ様のお言葉、みんな喜んでいます。
メイちゃんも早く回復されますように。
お身体大事になさってくださいね。
いつも本当にありがとうございます。
福島第一原発のメルトダウンで、多大な風評被害が起こりました。
私は東日本大震災が発生した時は東京に住んでましたが、2014年から北京、2018年からはソウルに住んでいます。
北京でもソウルでも、日本の農産物は放射能の影響で危険なのではないか?と聞いてくる方々がいました。
外国だと、福島だけでなく、日本の広範囲でそのような問題が起こっているのではないかと思われていて、ちょっと驚きました。
情報がないと、あるいは誤った情報によって、風評被害が起こるものです。
正しい情報を得るために、聞いたことをそのまま信じるのではなく、いろんな角度から調べるように心がけるべきだろうと感じます。
byronko さま、こんばんは。いつも感謝します。
>「外国だと、福島だけでなく、日本の広範囲でそのような問題が起こっているのではないかと思われていて、ちょっと驚きました。」
そうなのですか・・・。
地理的なこと、全体的なことがわからないと、よくないほうに、想像してしまいがちですね。
>「正しい情報を得るために、聞いたことをそのまま信じるのではなく、いろんな角度から調べるように心がけるべきだろうと感じます。」
仰る通りですね。
なにかあると、フェイクニュースなども流れますから。
お身体大事になさってくださいね。
いつも本当にありがとうございます。
こんにちは。
東日本大震災から10年が経過し、まだまだ復興途中で当事者の方々の
心中は如何ばかりかと思います。
国を超えて色々な支援が行われ、素晴らしい絆が生れている事を知りました。
後世に語り継ぐべき資料などを若人が率先して作りはじめていることも知り、
人間の勇気と知恵に感動しました。
miyotya さま、こんばんは。いつも感謝します。
>「東日本大震災から10年が経過し、まだまだ復興途中で当事者の方々の
心中は如何ばかりかと思います。」
まだ、帰還できない方も多いので・・・。
>「国を超えて色々な支援が行われ、素晴らしい絆が生れている事を知りました。」
この事実は、元気づけられますね。
そして支援を続けて下さっていることに、有難いです。
>「後世に語り継ぐべき資料などを若人が率先して作りはじめていることも知り」
語り継ぐことは、風化させない、一番の方法ですね。
お身体大事になさってくださいね。
いつも本当にありがとうございます
happy-ok3様、こんばんは! いつもたくさんの素晴らしい記事に感謝します。
昨日はコメントを書いた後、どうやら送信するのを忘れてブラウザを閉じてしまったようです、他の用事が入ったので慌てていたのかもしれません、すみません。
東日本大震災のお話は、どれも読むだけで心が痛いですね。
お店のオーナーさんの当時の大きな支援、happy-ok3様の即座の決断は到底及ぶところではありません。
困っている被災地で、ここなら信用できると思われる団体がありましたらときどきご紹介ください。
(今年2回ほど物資を送付したところがどうも今一つだったので切り替えます)
今日もありがとうございました^^どうぞお気をつけて。それでは、また。
MTさま、こんばんは。いつも感謝します。
>「昨日はコメントを書いた後、どうやら送信するのを忘れてブラウザを閉じてしまったようです、他の用事が入ったので慌てていたのかもしれません、すみません。」
いつも感謝しています!ありがとうございます。
>「東日本大震災のお話は、どれも読むだけで心が痛いですね。」
その渦中の間のご苦労、ご心配は、いかばかりかと・・・。
>「困っている被災地で、ここなら信用できると思われる団体がありましたらときどきご紹介ください。」
はい、また、紹介させていただきます。
>「今年2回ほど物資を送付したところがどうも今一つだったので切り替えます」
そこは、私が紹介させて頂いた所でしょうか?
もしも、そうであれば、お詫び申し上げます。
私も、送付しても、音沙汰もない所も、中には、残念ですが、ございます。
色んな所、色んな人がいらっしゃいますが、善い方と出会えたら、幸いですね。
お身体、だいじになさってくださいね。
いつも本当にありがとうございます。
誉くんとたつき君は肩に、晴ちゃんは頭の上に。(#^.^#)」可愛いですね。
出来るだけ、話しかけ、また、出来るだけ、同じ空間にいる時間を長くしています。是が大事なことですね。
味噌醤油、乳酸菌の漬物、雑穀など、大事なようですね。私も手術後はパンやコーヒー乳製品は苦手となりました。
いつもありがとうございます!
リボンさま、おはようございます!いつも感謝します。
>「是が大事なことですね。」
当たり前のことだと思いますが、大切にします。
>「味噌醤油、乳酸菌の漬物、雑穀など、大事なようですね。」
発酵食品は、よいらしいですね。
お身体大事になさってくださいね。
いつも本当にありがとうございます。