光の天使のHAPPY モンテンルパの聖者

9月17日(木)晴れ
『命を守るために自分を神と人に献げられる職が聖職。』実祝プランニング語録
108人の日本兵達は無事に、加賀尾僧侶と一緒に日本の地に再び足を踏みいれることが出来た。しかし、14名もの日本兵がフィリピンで処刑されてしまった。冤罪で・・・。
なぜ、キリノ大統領が、モンテンルパの夜はふけての曲にそこまで感銘を覚えたのだろうか?
前日まで、側近達に、「どんなことを、加賀尾僧侶が言ってきても、応じない。」と言っていたのだ。
言葉を越えた音楽の中に、同じ悲しみ,苦しみ、愛情を目に見えない存在が、届けたのだろう。なぜなら天使たちは音楽が大好きだから。
又、自分の栄転を振ってまでも、中に入って調整をした、役人の方や、世間の中傷にめげず歌をとおして、戦争がまだ続いていることを、国民に訴え続けた渡辺はま子。
そして、命をかけて、自分の生活を捧げて、日本兵達と4年近くもの年月をともにした、加賀尾僧侶。 『正しい者の結ぶ実は命の木である。聖書箴言11:30』
いつ、冤罪で処刑されるか解らない恐怖の中で、どれだけ、加賀尾師の存在と本気の励ましが日本兵達に大きな力となったことだろう。ある意味、加賀尾僧侶がいたから、生きてこれた兵士達もいたと思う。
聖職というと、司祭やシスター、牧師、あるいは僧侶が浮かびがちだが、聖職の位置にいるから聖職者ではない。聖職の位置にいてもそれを自分の都合のいいように上手く使っていたら、意味がない。大勢の前で歌っているから歌手ではなく、歌の力を多くの人を生かすために用いられる人が本当の歌手かもしれない。渡辺はま子は人人から隔離された重症の皮膚病、ハンセン患者の慰問も続けていたという。
そして、多くの同じような、良い心と志を持った人達が、不思議と集められ結びあわされていったのである。

宗教云々を超えて、今、聖職と言う位置についている人達が本当の献身をした、聖職者であってほしい。加賀尾僧侶がキリノ大統領と接見したときの写真を見ると、全身全霊を持ってあたっていることが私は伺い知れた。108人の日本兵が助かったと言う事は少なく見積もっても、現在その9倍の人の命に灯を灯したと言うことだ。
命を守るために自分を神と人に献げられる人が聖職者である。続きはまた、明日・・・。
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