光の天使のHAPPY モンテンルパの兵士
9月15日(火)曇り
『聖職の職についているから聖職者ではなく、捧げきった深い部分で本当の献身をしているから聖職者なのだ。』実祝プランニング語録
9月12日(土)フジテレビで「~108人の日本人兵士の命を救った奇蹟の歌~ああ、モンテンルパの夜はふけて」をご覧になった方も多いだろう。
私は、涙が止まらなかった。私は戦争を知らない。しかし、毎年のように夏になると戦争体験が語られ、テレビや映画で放映される。数年前、私は負の世界遺産である原爆ドームをテーマにポスターを作製した。さて日本は昭和20年8月15年に終戦を迎えたが、本当の戦争はまだ終わっていない事実があった。その1つがフィリピン、モンテンルパにある、ニュー・ビリビット刑務所にフィリピン人に残虐行為をした戦犯とされてしまった日本人兵達である。しかし、収容された人の殆どは残虐行為があった場所にいなかった。冤罪である。この刑務所に、日本連合軍最高司令官の命により、昭和24年10月30日に日本を発ってこの刑務所に教誨師として赴いたのが、加賀尾秀忍師である。加賀尾師は高野山僧侶。
加賀尾師はその現状の酷さに言葉が出なかったと言う。そして、冤罪をきせられ、処刑される人の為に祈ることしか出来なかったと。けれど何とかここに居る日本兵達の力になりたい、励ましたいという、強い思いを持ち、国から給料が支給される6ヶ月の任期を終えても、そこにとどまった。そして、兵士達と同じ貧しい食事を摂り(一説では任期を終えたら食事は出ないので、残飯を食べたという説もある。)ご自身も心臓の持病で倒れながらも、とどまり、兵士達を励ました。
そんな中、昭和26年、刑務所内の日本兵が処刑された悲しさがきっかけとなり、加賀尾師はモンテンルパの想いを歌に託すことにした。兵士の一人、代田銀太郎が詩を書き、別の兵士、伊藤正康が曲をつけた。日本で、国民的アイドルだった渡辺はま子が、この曲に感動してレコード化し、そして歌った。
渡辺はま子は戦争中、多くの兵士達の慰問に行き、歌を歌っては励ましていた。しかし、戦争が終わり、その励ましが本当に益をもたらしたのかと、悩んでいた。加賀尾師も、渡辺はま子も、日本兵達を救い出すために、自分の役目を命を懸けて果たすことを努力し奔走していった。 『正しい者の口は知恵を語り、その舌は公義を告げる。聖書詩篇37:30』続きは、又明日。・・・。
Cppyright2009 実祝(みのり)プランニング