独眼の英雄、ホラティウスのHAPPY その4
8月12日(水)晴れ
『自分の仕事に正義と勇気という武具を着けるHAPPY。』実祝プランニング語録
責任とは都合が悪いと、別の人のせいにしたり、いいわけし、逃げることではない。責任者は前向きさと心意気は強く大きくていいのだが、傲慢であっては本当は務まらない。
死を覚悟の上で再び捕虜となったレグルスも、陰謀に加担した息子を処刑せざるをえなかったルキウスも、死ぬ間際まで図形を描いていたアルキメデスも、アルキメデスの墓を建てたマルケルスも、そしてホラティウスの勇敢さを称えたポルセンナの兵士達も
皆、自分の仕事に勇気という武具を着けた人人であった。私はホラティウスのその後の生き方に興味がある。多分、独眼になっても、皆から賞賛されても、驕ることもなく、心意気は勇者のままだったと想像する。
紀元前のホラティウスの勇敢さが17世紀の歴史家・詩人によっても称えられるのは、そこに{本物のどうぞ}がいまだに生き続け、感動を与えるからではないか?トーマス・バビントン・マコーレはうたった。「勇者たちの活躍した、いにしえの日に、ホラティウスがどれだけ見事に橋を守り通したか?」と。私たちの生き方はどうであろうか?
『忠実な人は多くの祝福を得る。聖書箴言28:20』
責任を持つというのは、自分が全てかぶることである。自分の主張をとおし、自分の得になるように持っていくのではない。起きた事に対し、正義を守りつつも「膿み」を自分が引き受けることである。
これを実行されている責任者は、本当の責任者だ。が、今はそういう人が少なくなっていないだろうか?逆に本当に責任を取れる人が、追いやられている事はないだろうか?まだ、すごい人物がこの後登場する。続きは、明日のお楽しみ・・・。
Copyright2009 実祝(みのり)プランニング