マルクス・アティリウス・レグルスの忠誠のHAPPY その1

8月3日(月)晴れ
『最後まで正々堂々と約束を守り通せる人は正義と誠実を追い求める。』
実祝プランニング語録
アルキメデスとマルクス・クラウディウ・マルケルスの出会いは第2次ポエニ戦争の時である。ポエニというのはカルタゴのラテン名にちなんだ呼び名である。
第2次があるという事は第1次がある。戦争は良くないし、ポエニ戦争は第3次まであったが、歴史家によっても、失ったもののほうが大きいと言われている。
しかし、その緊迫し、命をかけた時勢の中でこそ、その人の人間の力が、見えてくる。命を懸けた戦争の中で、自分の仕事の目的と人としての品格が問われてくる。
ヒエロン2世はBC.269年にシラクサの僭主(センシュ)となった。ヒエロン2世の銅貨も存在している。
第一次ポエニ戦争は、ヒエロン王2世が僭主となった後のBC.264年から始まった。なぜ、戦争になったのか?BC.288年カンパニア出身のイタリア人傭兵(ヨウヘイ=雇われ兵)・マルティニがシチリア北東のメッシーナの町を占領した。この時、男は皆殺され、女を連れ去って妻とした。その上メッシーナを拠点に国境を荒らしまわっていた。自治都市であるシラクサにも問題となっていた。BC.265年ヒエロン2世はマルティニと戦いメッシーナを取り戻す決意をした。
マルティニはローマとカルタゴの両方に助けを求めた。マルティニの傭兵集団は、ローマとカルタゴの間を上手く立ち回り、2枚舌を使っていた。初めローマが迷っている間にカルタゴが援軍を送った。そのため、カルタゴがイタリアに近づきすぎるとあわてたローマがマルティニと同盟を結んだ。
BC.264年ローマはシチリアに配属となり、渋るシラクサを無理やりに同盟に参加させた。その後、この争いはローマとカルタゴの争いとなり、シチリアの所有権をめぐる争いになってしまった。
性質の良くないマルティニが引き起こした戦争において、命を懸けてローマの名を輝かせるために、最後まで正々堂々と約束を守りぬいた男、それがマルクス・アティリウス・レグルスである。
『正義と誠実を追い求める者は、いのちと正義と誉れを得る。聖書箴言21:23』
続きは、又明日、お楽しみに・・・。Copyright2009 実祝(みのり)プランニング

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