当たり前のHAPPY その2
3月8日(日)晴れ
『1つ1つの当たり前の中に、奧深いHAPPがある。』
実祝プランニング語録
「ありがとう・すみません・どうぞ。」この3つの言葉は小学生の時、全校生徒に対し、大事にしなさい、実行しなさい、ということでこの言葉のシールが配られた。それを、家でよく見える場所か、机の近くに貼るようにと。それは今でもHAPPYなことだったと感謝している。今でもこの言葉は、絶えず浮かんでくるからだ。
何かを人にして頂いて、有難う。なのに、御金を払っているんだから当然と思っていないだろうか?
小さな事でも、迷惑をかけたら、すみません。なのに、こんなことくらいどうでもいいと思っていないだろうか?先に人に譲るために、どうぞ。なのに、自分ばかり優先、とおもっていないだろうか?
これらは、家庭教育で培われる部分が大きいと思う。
先日、ボランティアで子供達と接していた時、ある子供が机の上の消しゴムのかすやゴミを、そのまま
カーペットの床に落とした。私は『何をするの?それはゴミでしょう?なぜ、集めてゴミ箱に入れないの?』すると、5年生にもなる男子だが、「家では、いつもこうしてる。」という。『ゴミ箱ないの?』ときくと、「部屋にはあるけど、妹の机の近くに1つしかないから、こうしてる。」兄妹同じ部屋なのだ.・・・何十帖もある部屋ではないはずだ。原因の1つは横着を続けてきたことが習慣化していること。2つ目は周囲がそのままで良しと認めていることだ。
私は『このお部屋はゴミ箱じゃない。誰かが掃除しないといけない。これからは、他のどこに行ってもしないようにね。お家でも、ゴミはゴミ箱に捨てなさい。今のうちに、それは気をつけていこうね。』と。その子にゴミ箱をプレゼントしようかと考えている。
掃除をしてもらってありがとうという気持ちがあれば、出来ない。掃除なんか誰かにしてもらって当然という気持ちが、習慣化してしまってるからだ。
当たり前を感謝できるには、自分が陰の汗を、損得抜きで他人のためにしていく事を体験しないと難しいかもしれない。
当たり前の事は、本当は1つ1つを見ると奧の深いHAPPYだ。
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