プロの記者2人の被災地取材&相手を尊ぶ支援
2021年 3月14日(日)
温かい人たちの事実と、被災地の報告と、新型コロナウィルスの内容も。
関心を持ち続け、支援をと願います。
「支援は愛と笑顔を届けるもの。」
happy-ok3の、日記の記事は支援などの報告の下に。
ぽちっ!と押して頂けたら嬉しいです。(#^.^#)
【豪雨で被災、青井阿蘇神社の蓮池を復活へ】
●去年7月の豪雨で被災した人吉市にある国宝青井阿蘇神社の蓮池を復活させようと、
13日、水害から生き残ったハスの根が植え付けられた。
植え付けに参加したのは青井阿蘇神社の氏子や高校生、
県職員のボランティアなど約120人。
(写真:熊本県民テレビ様)
蓮池では、去年10月に災害ゴミや流れ込んだ泥などが取り除かれ、
その際、掘り出されたハスの根が県球磨農業研究所に保管されていた。
(写真:熊本県民テレビ様)
13日は200本を広さ2300平方メートルの池に植えつけた。
蓮池が元の姿を取り戻すのにはあと数年かかりそうだが、
花は今年の夏前に咲きそうだという。
【被災した益城中で卒業式】
●熊本地震で被災した益城中学校で13日、卒業式が行われ、
3年間をプレハブ校舎で過ごした生徒が巣立った。
熊本地震からまもなく5年。3年生262人が卒業の日を迎えた。
新しい校舎の建設が進む益城中では、卒業生が3年間を過ごした
プレハブ校舎の解体が来月から始まる。
(写真:熊本県民テレビ様)
新型コロナ感染対策のため卒業生と保護者のみの式となり、
在校生は出席できなかったが、卒業生代表の永田晋悟さんは
「この益城中をさらに発展させてほしい自信を持って活動してください」とエールを。
卒業生たちは最後に、去年の合唱コンクールでも歌った思い出の曲を歌った。
「答え合わせの時に私はもういないだから採点基準はあなたのこれからの人生」
(写真:熊本県民テレビ様)
「僕たちの世代だけ3年間ずっとプレハブだったので僕らにしかない思い出がある」
【相馬市原釜尾浜地区、9000枚の舟流す】
●東日本大震災の津波で200人以上が亡くなった相馬市原釜尾浜地区の海岸で11日、
遺族らが追悼の思いを記したタイサンボクの木の葉を舟に見立てて海へ流した。
県北地方を中心に活動する「じろはったんの会」(永野泉代表)が、兵庫県の
「森はな顕彰会」と連携して毎年取り組んでいる。
今回は県内の遺族や児童と兵庫県、愛知県の子どもたちがメッセージを記した
木の葉約9000枚が集まった。
相馬市の原釜尾浜海水浴場で、メッセージを記した
タイサンボクの葉を海に流す参加者
(写真:福島民報様)
永野代表は「10年を経ても心の復興はまだ終わらない。この活動が一歩ずつ
前を向き前進していくための一助になれば」と話した。
【仮設校舎で最後の卒業式、大熊中学】
●東京電力福島第1原発事故で福島県会津若松市に避難する同県大熊町大熊中の
卒業式が12日、同市一箕町の仮設プレハブ校舎であった。
8年間で役目を終えることになった仮設校舎で学んだ最後の卒業生3人が、
思い出と感謝を胸に巣立った。
3人は進学で離れ離れになるが、友情は固く結ばれた。
仮設プレハブ校舎で学んだ最後の卒業生として、
花束を手にする(右から)長谷川心音さん、
東理このみさん、斎藤菖(あやめ)さんが
見送りの小学生らと記念撮影した=1212日正午ごろ、
会津若松市の大熊中仮設校舎(写真:河北新報様)
1、2年生がいないため、見送りに同市河東町に仮校舎を置く町の
小学校の全児童9人がサプライズで参加。
大熊中は2011年4月に同市で授業を再開。13年、現在の仮設校舎に入った。
22年春の義務教育学校移行を前に新年度は小学校の校舎に移る。
【乗客に震災体験語り継ぐ、三陸鉄道】
●岩手県沿岸を走る第三セクター三陸鉄道(岩手県宮古市)は11日、東日本大震災の
発生から10年に合わせ、「3・11を語り継ぐ 感謝のリレー列車」を運行した。
盛(大船渡)-久慈間のリアス線全線163キロを4時間半かけて走り、
社員が震災当時の出来事や感謝の思いを語った。
冨手さん(中央)のガイドに耳を傾ける参加者
(写真:河北新報様)
県内外から30人が参加。7人の社員が交代でガイドを務め、
10年前の被害の様子や、車窓から見える復興状況を説明した。
震災発生時刻の午後2時46分には、閉伊川の鉄橋に列車を止め、
宮古湾に向かって黙とうをささげた。
中村一郎社長も乗り込み「おととしの台風19号被害もあったが、全国の支援で
ここまで復興できた。多くの方とのつながりを大事に、三陸地域に少しでも
貢献できるよう頑張りたい」とあいさつした。
【大槌町長、犠牲者と遺族にお詫び】
●東日本大震災で当時の町長と職員計39人が亡くなった岩手県大槌町は11日、
そのうち28人が犠牲になった旧役場庁舎の跡地で職員追悼式を開いた。
遺族13人と職員合わせて約40人が参列し、家族や同僚の死を悼んだ。
平野公三町長は追悼のあいさつで「跡地は災害対策の拠点となるべき役場と職員を
失うことで復旧復興が困難になった象徴的な場所」と強調。
「津波の恐ろしさを視覚的にイメージできるものを設ける」と。
旧大槌町役場で行われた追悼式で献花する遺族。
右から2人目は平野町長
(写真:河北新報様)
震災発生時、総務課主幹として防災行政の担当者だった自らの責任については
「高台避難の機会を逸し、町民への避難指示の発令を町長、総務課長に具申
できなかった。甚大な被害を防げず、犠牲者と遺族に深くおわびする」と認めた。
「危機感が薄く、津波常襲地帯である過去の教訓が生かされなかった」と反省した。
遺族は一人ずつ献花し手を合わせ、遺族たちは
「10年たったけれど今年が一番悲しい」と涙をこぼした。
「町長は『生き残ってしまった』と言っていたが、自身も苦しんでいるのだと思う」
「町が伝承に取り組むのはいいことだが、町民と一体で考えるべきだ。
自分もできることをしていく」と語った。
【3県の被災企業、休廃業34.7%】
●東日本大震災で特に大きな被害を受けた岩手、宮城、福島3県の沿岸部などに
本社があった5004社を対象とした帝国データバンク仙台支店の追跡調査で、
2月までに休廃業した企業は1737社(34・7%)に上った。
昨年同月時点より28社増加。事業承継が進まず休廃業が増える中、
新型コロナウイルスの感染拡大の影響も加わり、事業を断念する企業は
今後も増える恐れがある。
(写真:河北新報様)
対象は、被災3県の津波被害を受けた地域や、福島第1原発事故の警戒区域と
計画的避難区域(ともに当時)にあった企業を11年6月時点で指定し、追跡調査。
事業継続の企業は、同じ県内の内陸部や東京など別の場所で継続する事例も含む。
【飯館村、帰還困難地区残るが、人の営みは一歩ずつ進む】
●2017年3月31日、避難指示は帰還困難区域となった長泥地区を除いて解除された。
今月1日現在、村民約5200人のうち、村内の居住者は約1480人で、
そのうち新規移住者が約150人に上る。
ブランド牛「飯舘牛」をはじめ2860頭いた牛は一時姿を消したが、
現在は約400頭が飼育されるまでになった。
一方、村内には約50カ所の仮置き場が残り、除染土が入った無数の黒い袋が
積み重なる。村役場から南下し、山道を上るとバリケードと警備員の姿があった。
その先は帰還困難区域の長泥地区。いまだ帰れない場所がある厳しい現実。
飯舘村の道の駅には村内外から人が訪れ、
にぎわいを見せていた=2021年3月
(写真:福島民報様様)
現在の福島民報の本社報道部記者によると、それでも、村内の家々にともる
明かりには希望を感じるという。あの頃は暗闇が広がるばかりだった村に、
人の営みが着実に戻ってきている。
美しい「までいの村」の復興の歩みをこれからも注目し続けていきたい、と。
【大槌町の子ども支えた市原の団体、お互いに支援】
●市原市のボランティア団体「大槌町の子どもたちを支える会」は、岩手県の
沿岸部にあり東日本大震災で甚大な被害を受けた同町を支援してきた。
代表の志村淳子さん(79)は「今年は大槌町に行き、会のメンバーに復興の様子を
見てもらってから解散しようと思う」と。
子どもたちの安らぎと笑顔を願い活動を続けてきた会。
毎年のように同町を訪問し、たこ揚げなどのボランティア活動を通じて現地の
子どもや住民と交流。
千葉で開いた写真展での募金、会員の寄付、資源回収の収益を義援金として、
大槌町の教育委員会や社会福祉協議会に届ける支援もしてきた。
大槌町の子どもたちを支える会は、
義援金などに活用するため
資源回収に取り組んでいる=市原市内
(写真:千葉日報様)
支える会の活動がきっかけとなり、両市町の学校同士の交流も生まれた。
19年秋、市原は一連の風水害に襲われ、ゴルフ練習場の鉄柱倒壊など甚大な被害を
知った町立大槌学園の児童生徒会が中心となり募金活動を行い20年春、会に浄財が。
「市原市の方々のために使っていただけるとうれしい」と手紙が添えられ、
これまでの大槌の支援に対するお礼の気持ちが込められていた。
大槌学園から届いた善意は、市立加茂学園に贈られた。加茂学園のある加茂地区は、
房総半島台風(台風15号)で停電が長期化。学校も1週間休校したことを教訓に、
避難所で使用する発電機と照明灯を購入し同年秋、大槌学園の生徒にオンライン報告。
今年1月にも両学園の生徒代表が防災をテーマに再びオンラインで交流し、
大槌学園の関係者は「これまでの支える会の支援が実を結んだ形」と。
志村さんたちの思いは次代を担う青少年に引き継がれていく。
【コロナで、自治体の財政への影響深刻化】
●総務省によると、新型コロナウイルスの影響などで全国の自治体の
新年度の財政は今年度の倍以上の財源不足が見込まれ、
国からの「仕送り」にあたる地方交付税の増額などが行われることになっている。
一方、いわゆる企業城下町や観光都市など地方税収が多いため交付税を受けていない
「不交付団体」にあたる都道府県と市町村は、全国に76あり、
新年度の財政についてNHKが調査したところ、27の自治体が
「事業や住民サービスに影響が生じる可能性がある」と答えた。
(写真:NHKニュース様)
新型コロナウイルスによって今後、深刻化するとされるのが自治体の財政への影響で
市民が負担する保険料などが値上げされる可能性もあるという。
【コロナ詐欺に注意】
●詐欺が増え「新型コロナワクチン詐欺 消費者ホットライン」が開設された。
【コロナ禍の中、命を大切に、相談を】
👆 電話をしてほしい。 また、👇も。
【地震】
yoshihide-sugiura様が、地震の事は、詳しく書かれている。
「yoshihide-sugiura様からは、現在、関東は不安定であり、特に家具の
転倒防止を行う、転倒する側にベッドを置かない、等お願いしています」と。
●3月13日23時25分頃 震度1 石川県能登地方
●3月13日22時23分頃 震度1 鹿児島湾
●3月13日12時48分頃 震度1 茨城県沖
今、日本での災害で苦しんでいる方々がいる。関心を持ち続けていただけたら、幸いだ。
(私は阪神・淡路大震災で被災したので、他人事とは思えない)
↓被災体験の悲しみは消えることはない。
3月13日は、お父さんにもらった優しい「うそ」と希望で大切な事を
希望を届けるために大切な事がある。
★★★★★★★★★★
ぽちっ!と押して頂けたら嬉しいです。(#^.^#)
★★★★★★★★★★
プロの記者たちが、心を砕いて、東日本の震災を取材し、感じた事をお伝えしたい。
兵庫県の丹波新聞の記者は発生1カ月後に初めて現地に入り、ボランティアを
しながらルポを書いた。
その後も訪問を続ける中でたくさんの友人ができ、毎年、東北に足を運んでいる。
(兵庫県の丹波市は、阪神・淡路大震災でも大きな被害はほとんどなかった地域)
壊されたまちを見ること以上につらかったのが地元の人と話すことだった。
ボランティア作業の合間、話をしたいという地元の人は一定数おられた。
外から来た話すことで、少しでも気持ちを落ち着かせたかったのかもしれない。
「家族が目の前で津波に持っていかれてね。毎日、捜しに歩いている」
「主人が見つかったんだけど、フェンスの高い所に引っ掛かっていて
降ろすのが大変だったの」
ただうなずくしかできず、記者という職業を明かすこともできなかった。
顔なじみになった人に勇気を振り絞って記者であることを告げると、
「それなら見ていって」と高台の公園に急きょ作られた仮土葬場に案内された。
朝もやの中、何本もの木の墓標が立ち並び、声を上げて泣いている人、
ただ茫然と立ち尽くしている人、想像もできないような悲しみが重く沈殿していた。
写真を撮ることをためらっていると「撮って。そして、帰ったらみんなに伝えてね」
この言葉がなければ記事を書けなかったと思う。
その後、ほとんど毎月、東北に通う日々があり「あらぁ、また来たの」と
言ってくれる人が増えていった。
「災害時にあっても冷静で、礼儀を忘れない日本人」と報じられたが、
少なからず物資の奪い合いや避難所内での盗難もあった。
支援活動を行う中で地元の軋轢に悩み、失語症になった友人もいた。
また知人の女性は家の修繕に来た業者に料金を支払ったのに、工事には来なかった。
料金は法外な額だった。
全国各地から物資が届けられていたが、使い古された衣服もあり、結局捨てられた。
また震災直後はともかく、その後も延々と送られてくる物資は無料で配られ続け、
営業を再開した地元経済を圧迫した。
ボランティアの多くは志と礼儀をわきまえた人だったとは思うが、中には
津波が襲った後のまちで、住民の前で平然と「汚い」「臭い」と言ったり、
ピースサインで記念撮影をしたり。
作業を巡って地元の人とトラブルになる人、地元でがんばっている団体の代表者に、
「全然ダメ」と見下す発言をする人もいた。
仮設住宅ではボランティアセンターなどを介さないボランティアが突然訪れ、
大音量で音楽を演奏し、「がんばって」と呼びかける。
自治会長の男性が嘆いていた。
「支援に来てくれているんだから断れない。でも、もう疲れた。ボランティア疲れ」
避難所から仮設住宅、そして災害公営住宅や自力で再建した新居など、
被災した人たちの生活は転々とし、そのたび孤独死やコミュニティーの再建など、
新しい課題が出ている。
記者と最も仲が良く、現地の住民でありつつ、被災者支援や自立活動に
取り組んできた人が言う。
「私たちは今、『被災地』『かわいそうな被災者』という肩書から脱皮して、
ふるさとで暮らし、さらによいまちにするためにがんばる一市民になりたい。
災害を経験した人が、いろんなことを乗り越え、自分にできることで地域に
恩返しがしたいという気持ちが芽生えたときにこそ、復興したと言えるのでは」
「いつか、亡くなった人たちに出会うときが来たら、目と目を合わせて、
『がんばってきたよ』と言えるように、これからも歩み続けていこうと思う」と。
BUSINESS INSIDER JAPANの記者は、2021年3月11日、午後7時、
釜石市鵜住居(うのすまい)町で、住民たちとともに、夜空に打ちあがった
花火を見つめていた。震災発生から5年のときにも、釜石で約1週間を過ごしている。
鵜住居町は10年前の東日本大震災で10メートルを超える津波に襲われた。
600人の死者・行方不明者を出した土地だ。東日本大震災の釜石市の死者は888人、
行方不明者数は158人 (NHK東日本大震災アーカイブス調べ)。
その中でも、半数以上を占める死者・行方不明者を出したのが鵜住居町だ。
花火打ち上げ前の式典では、釜石市の野田武則市長がマイクの前に立ち、
「震災から10年が経過し、街の復興は進んだが、
心の復興は一人ひとりが、決めるものです」
住民にこの10年の変化を聞いてみると、
釜石市野田町には、震災後、津波被害に遭った住民らが移り住んできたが、
当時から今日まで続く大きな課題は、移住してきた住民の孤立。
「前から住んでいる住民と交流できるように盆踊りなどのイベントをしていますが、
なかなかコミュニケーションがとれない。トラウマを抱えていたり、
高齢だったりと、すぐには新しい生活になじめないのはよくわかるけれど、
あれからもう10年も経過している。(積極的に)復興に向かっていかないと」
仮設住宅での生活を余儀なくされ、ようやく仮設を出た後に入った復興公営住宅でも、
うまく周囲になじむことができない人が数多くいる。
「復興」は建物を新しくするだけでは進まない。
2019年に、犠牲者の名前が刻まれた慰霊碑のある「釜石祈りのパーク」も作られた。
今年の3月11日、喪服姿で白い菊の花を手向ける人々が途切れることがなかった。
慰霊に訪れた人の中には、名前が刻まれた芳名板を布で丁寧にふいたり、
慰霊碑の前でじっと動かずに立ちすくむ人もいた。
「もう10年もたったので記憶が風化して、平気かとも思ったのですが、名前を
見ていたら涙が出てきた。住宅の復興は進んだけれど、まだ空き地も多い。
震災前の姿を取り戻すことはもうできないのでしょうか」
震災後の造成工事が長期化したことが原因で、震災前に住んでいた土地を離れて
別の土地に家を建てたり買ったりした住民が多いのが現実だと。
2人のプロの記者が事実を伝え、現地にも思いを寄せている。
支援する中で謙遜な気持ちを持って行動しないと、寄り添わない言葉や行動は
逆に、傷つけるだけの結果になってしまう。
私は、毎日、被災地の報告をお伝えさせて頂いているが、東日本大震災に限らず、
どの被災地でも、詐欺や火事場泥棒が、起きている。
西日本豪雨の時は、ボランティアに登録して現地に入った人が(プロの取材ではなく)
カメラを持って、断りもなく家に入り、写真を撮り続け、被災者の人が泣いていた。
私も被災しているので、被災し多くの物を失い、者を喪った悲しみは消えないのだ。
そんな中、コツコツ頑張っていると、その苦労など考えもしない人が、妬んだり、
卑怯な事をしては、傷をさらに増やす人がいる事は悲しいかなある。
だけど、それに負けてはいけない…。
良くない事をしてくる人に、それはやめてほしいと自分の意向を伝えても、
心の卑怯な人は、逆に嘘や真意と別の見解で攻撃、イジメ、中傷してくる。
が…仕返しなどは、考えないほうがいいし、その人たちの道からは避難。
Bibleに
「悪に負けてはいけません。かえって善をもって悪に打ち勝ちなさい」とある。
誠実に、心から、善い事を希望し、進む道は、心が喜ぶ。
★★★★★★★★★★
MTさまが、支援について、考えておられた。
支援について、何かの参考にして頂ければ。
1)自分が重荷をもつ場所に。
盲導犬や介助犬を支援、何かの障がいを持った方々への支援、子ども食堂などへの支援、
動物保護の支援、医療関係への支援、被災地支援、ホームレスの方々への支援など等、
どんな事に協力を続けたいのか?を、決める。
2)気持ちが合う団体を選ぶ。
悲しいかな、一部だが、横柄な態度をとる団体もないわけではない。電話で話していると
分かるのでその場合は、1回限りになるか、疑問がでた時点で、そこには行わない。
送付物の反応はその団体によって異なる。すぐに有難うと伝えてくれる所、時間が経って、
伝えてくれる所、音沙汰すらない所・・・。
3)物資の場合は、必要な物を伺い「新品」を。
被災地の物資は、時間とともに変化する。昨年の熊本豪雨の時、熊本YWCAに、
今必要な物を伺い、送付。その後も1~2週間で必要物資は変化するので、その都度伺い、
必要な物を何度か送付。もちろん、全て新品である。
掃除などが、少し落ち着いた頃、今度は球磨村のお寺の副住職が、
在宅支援の方を手伝っていたので必要な物を伺い、何度か、大きな箱で送付。
洋服も新品を色んなお店を回って購入した。2着ほど、2~3回しか着ていないが
良い服もあったので、それはクリーニングに出して、綺麗で良い状態の物を送付。
電子レンジが必要と仰るので(多機能レンジは手が出ないが、単機能でも良いと言われ)
電子レンジも、使いやすい物を探して2台ほど送付。
その他、毛布や下着(サイズも聞いて)送付。
この時、副住職から言われた言葉が、今でも私の感謝になっている。
「happy-ok3さん。私も在宅避難している人の家に手伝いに行っていますが
豪雨の後、皆さん笑顔が出なかったんです。
でも、happy-ok3さんが、いろんな物を送ってくれて、それをお寺まで
見にきてもらうと『わぁ~~~!』っていって、みんな笑顔が出たんです!」
そのためには、自分が頂いても嬉しい物にしないと。新品で!
不要な要らない物など、差し上げてはいけない!
このブログをご覧になっている方は、私が送付した拙い物の写真を見てご存知だが。
ちなみに、私の電子レンジは、ナショナルの2002年製が、まだ頑張ってくれている。
そして、現地が落ち着きだすと、被災した商店も物を販売していくので、
現地が潤うように、邪魔をしてはいけない。
また、コロナ禍の中、私は、送付する物資も自分の住む地元で購入する。
それが、微力であっても、地元への応援だと思う。
★★★★★★★★★
「大切に尊ぶ思いが
支援へとつながる
その先の笑顔は
お互いの喜びとなる
by happy-ok3」
★★★★★★★★
自分が、大切に思う人には、心を込めた物を差し上げるのでは?
支援というのは、全く知らない相手であっても、大切に思い、心を込めて、
出来る事をさせて頂くことでもあると思う…。
その先に、笑顔が出ることを祈って!
医療関係の方々が、支えられますように!と祈り、
そして、復興は半ばである被災地を応援させて頂きたい!!
コロナに私たちが出来る事は、感染しない努力 である。
最前線で頑張っている医療従事者の方に、感謝と敬意をこめた言葉と行動を!
(下記には、イジメ相談の機関・いのちの電話を載せているから、電話をして!)
今日も【笑顔を届ける】happyな1日に。
いつも、皆様の励ましに、心から感謝いたします。
ボリュームのあるブログをお読み下さり、コメントを下さって心から感謝いたします。
今日の1日の時間の中、あなただけの素晴らしい光を輝かせて欲しいと祈ります!
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
お誕生日
今日 3月14日がお誕生日の方おめでとうございます。
お誕生日がいつの日であれ、今生かされていることが、
私たちへの素晴らしい贈りもの、辛い事があっても、今日の生を大切に。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「いのちの電話」(←クリックすると全国のいのちの電話が)
イジメ相談
【いじめ相談窓口】
●ふくしま24時間子どもSOS 電話 0120-916-024
●「東北いじめ総合支援センター」電話相談 080‐3320‐8844
●全国共通・24時間子どもSOSダイヤル 0120-0-78310 (全てのイジメに)
●189=年中無休、24時間
●チャイルドライン 0120-99-7777=月~土曜日の午後4~9時(18歳まで)
●子どもの人権110番 0120-007-110=平日午前8時半~午後5時15分
●NPO法人BOBDプロジェクト LINE@bondproject 月、水~土の午後4時~6時半
午後7時半~10時 10,20代の女性対象。
★定時制高校
★全国から高校中退者や発達障害の子どもたちを
受け入れている 北星余市高校 ←こちらから
大切なあなたが今日も 幸せで笑顔でいてほしい。
あなたは素晴らしい人なのだから!
あなたは大切な尊い人!だから。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ここからは、鳥たちの事に。(#^.^#)
コメント欄にお名前を記して頂けると嬉しいです。
お手数をおかけしますが ☞ https://happy-ok3.com/
はてなブログにいる方は「お誕生日おめでとうの happy-ok3の日記」
の読者登録されると「happy-ok3の日記」の更新が入ります。
下のブログ村の「ぽちっ」をお願いできたら幸いです。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
皆様から励まして頂き、心から感謝します。感想、よければコメント頂けたら嬉しいです。
たつき君、戻っていたのに、また1グラム減りました。
季節の変わり目、人も動物も注意が必要ですね。
私の送付する支援物資は、拙い物です。
もちろん、一生懸命選びますが。
それでも、お役に立てて頂けるので、その事に感謝を捧げたいです。
今日も、皆様の1日が、素晴らしい日でありますように。
皆様、お身体気をつけてくださいね。
皆様、今日もお身体、大事になさってくださいね。
えがお~。
皆様に感謝~。
ありがとうございました。
なかよし~。
なかよし~。
みんな、今日も素敵な笑顔をありがとう!
いつも、皆様からの励ましを心から感謝します。
ぽちっ!と押して頂けたら嬉しいです。(#^.^#)
※記事を紹介される折はリンクを貼って頂けると嬉しいです。
今日も皆様がhappyな優しい気持ちで、
一日を過ごせますように! GO!
Copyright2018実祝プランニング
おはようございます、happyさん。
スフレです。
きょうもたくさんのいろんな記事を
いっしょうけんめいに書いてくださって
ほんとうにありがとうございます。
>【豪雨で被災、青井阿蘇神社の蓮池を復活へ】
>その際、掘り出されたハスの根が県球磨農業研究所に保管されていた。
ほんとうによかったです(#^.^#)。
元の場所に植えてもらって蓮さんたちもうれしいですね(#^.^#)。
泥につかりながらの作業、みなさん、ほんとうにありがとうございます(#^.^#)。
またきれいな蓮のお花さんが咲きますね(#^.^#)。
>●熊本地震で被災した益城中学校で13日、卒業式が行われ、
3年間をプレハブ校舎で過ごした生徒が巣立った。
みなさん、たいへんななかのご卒業ほんとうにおめでとうございます。
>「僕たちの世代だけ3年間ずっとプレハブだったので僕らにしかない思い出がある」
いろんなことをおもってしまいました。
みなさんきっと、もっともっとやさしい人になってゆかれるとおもいました。
きょうの被災地の記事をよませてもらっていて
>遺族は一人ずつ献花し手を合わせ、遺族たちは
「10年たったけれど今年が一番悲しい」と涙をこぼした。
「町長は『生き残ってしまった』と言っていたが、自身も苦しんでいるのだと思う」
このことばに、むねが痛みました。
そして、みなさんに、どれだけの悲しみがあるのかとおもうと
なんにも言えなくなります。
みなさんどうか、おからだに気をつけて下さいね。
きょうもコロナの状況をありがとうございます。
きょうの兵庫県の丹波新聞の記者さんと
BUSINESS INSIDER JAPANの記者さんのおはなしに
かなしくて、なんとも言えない気持ちになりました。
>「私たちは今、『被災地』『かわいそうな被災者』という肩書から脱皮して、
ふるさとで暮らし、さらによいまちにするためにがんばる一市民になりたい。
災害を経験した人が、いろんなことを乗り越え、自分にできることで地域に
恩返しがしたいという気持ちが芽生えたときにこそ、復興したと言えるのでは 」
「いつか、亡くなった人たちに出会うときが来たら、目と目を合わせて、
『がんばってきたよ』と言えるように、これからも歩み続けていこうと思う」と。
このことばをありがとうございます。
ほかになんにも言えないわたしです。
happyさんの支援についての3項目、
たいせつなことをおしえてくださってありがとうございます。
じぶんの心から自然にでる支援のきもちをたいせつにして
ほんとうにほんの少しではあるのですがさせてもらおうとおもいます(#^.^#)。
きょうもhappyさん、ほんとうにありがとうございます。
コメントがみじかくてごめんなさい。
たつきさん、げんきをだしてくださいね!
メイもいま、わたしの肩のうえで、チッチ、元気をだして! っていっています(#^.^#)。
そして、たくさん、ごはんもたべてくださいね。
晴さん、誉さん、たつきさん、そして、よしきさんの魂さんも
きょうもかわいいすがたとえがおを
ほんとうにありがとう! (#^.^#)。
いつもげんきをもらっています(#^.^#)。
しあわせなきもちになってにっこりしています(#^.^#)。
happyさん、
くれぐれもおからだに気をつけてくださいね。
良い一日になりますように(#^.^#)。
スフレさま、おはようございます!いつも感謝します。
>「元の場所に植えてもらって蓮さんたちもうれしいですね(#^.^#)。
泥につかりながらの作業、みなさん、ほんとうにありがとうございます」
ボランテァ(地元の)方々の労のお陰ですね。
蓮池が元の姿を取り戻すのにはあと数年かかるようですが、蓮の花は、今年は咲くようですね!
楽しみです!
>「みなさん、たいへんななかのご卒業ほんとうにおめでとうございます。」
3年間、ずっとプレハブの学校生活は、不便な事も多かったでしょうね。
でも、この体験が、皆さんの中に、力となると思います。
>「そして、みなさんに、どれだけの悲しみがあるのかとおもうとなんにも言えなくなります。」
「10年たったけれど今年が一番悲しい」と涙をこぼした。
「町長は『生き残ってしまった』と言っていたが、自身も苦しんでいるのだと思う」
この言葉は、胸の奥の言葉だと思います。
生き残った者の、悲しみ、辛さが、あるのです・・・。
だけど、前を向いて、生きているからこそ、できることを、頑張って頂きたいです・・・。
>「きょうの兵庫県の丹波新聞の記者さんと
BUSINESS INSIDER JAPANの記者さんのおはなし」
このお2人の記者さんは、真実に被災地と向き合ってこられていると思います。
報道では、出しにくい、残念なことも、きちんと書いて下さって。
阪神・淡路大震災でも、残念な事はありましたから。
>「happyさんの支援についての3項目、
たいせつなことをおしえてくださってありがとうございます。」
丹波新聞の記者さんが、全国各地から物資が届けられていたが、使い古された衣服もあり、結局捨てられた。と書いていますが、その通りなのです。
阪神・淡路の時も、酷い状態のものが届けられ、被災者の方は泣いていたと・・・。(そこまで酷いもの)
被災され、大変な中、新品が誰でも嬉しいでしょう?
相手様の気持ちを考えて、私は、サイズなども、聞いたら、何軒もの地元のお店を回ります。
5Lとかのサイズのリクエストは、普通のお店では売ってないので、大きいサイズの専門店(地元)に初めて足を運びました。(#^.^#)
でも、いつも書きますが、「有り余る中から」ではないのです。(#^.^#)
小市民ですから。
>「メイもいま、わたしの肩のうえで、チッチ、元気をだして! っていっています(#^.^#)。
そして、たくさん、ごはんもたべてくださいね。」
ありがとうございます。伝えますね。元気になると思います。
メイちゃんによろしくお伝えくださいね。
お身体大事になさってくださいね。
いつも本当にありがとうございます。
「たつき君、戻っていたのに、また1グラム減りました。
季節の変わり目、人も動物も注意が必要ですね。」ですね、心配ですね。
天王寺動物園アムールトラ、センイチが死亡、朝飼育員さんが行くと、死んでいるパターンです、
元気そうに見えても弱み見せないから。東山のサーバルムサシなどがこれ、
スマトラトラクンデは飼育員、獣医さんが懸命の看護で、乗り越えています。
私も手術後は3月11月が危ないです。
驚異的なお働きのhappy様もお大事になさってください。。
こちらも蓮、レンコンの産地があります。綺麗だった蓮池が、突然おかしくなったこともあります。
リボンさま、おはようございます!いつも感謝します。
>「季節の変わり目、人も動物も注意が必要ですね。」ですね、心配ですね。」
ありがとうございます。
励まし、励まし、食べてもらいます。
おそらく、精神的なものだと思うのです。
やっぱり、いなくなると、寂しいですから・・・。
>「天王寺動物園アムールトラ、センイチが死亡」
悲しいですね。
>「私も手術後は3月11月が危ないです。」
お身体大事になさってくださいね。
>「綺麗だった蓮池が、突然おかしくなったこともあります。」
何かあったのでしょうね。
自然は、敏感ですね。
いつも本当にありがとうございます。
happyさん
震災による関連死でテレビのドキュメンタリーの予告で精神科医の方が『住み慣れた場所を追われるのは絶望だ』のようなことをおっしゃってました。
私は、今この暮らしを奪われたらと思うと思考停止。
想像すらできません。
報道には出ない記者さんの話で。
『人に寄りそう』ってどういうことか改めて考えさせられました。
そこにエゴや見返りを求めず、必要なものを受け取ってもらう物資だったり思いやりを持って接することですね。
何時も有難うございます。
れんさま、こんばんは!いつも感謝します。
>「精神科医の方が『住み慣れた場所を追われるのは絶望だ』のようなことをおっしゃってました。」
そうですね。
ある意味、生活そのもの、身体の一部?のようにもなっている気がします。
年齢を重ねるほど、きついと思います。
>「そこにエゴや見返りを求めず、必要なものを受け取ってもらう物資だったり思いやりを持って接することですね。」
仰るとおりですね。
支援物資は、思いやりも届けるものだと思うのです。
私ごときは、企業さんのように大量には出来かねます。
でも、相手様のことを考えて、品を選び購入し、梱包し、送付させて頂きます。
喜んで頂く事が、私の喜びです。
お身体大事になさってくださいね。
いつも本当にありがとうございます。
こんにちは。
東日本大震災だけでなく、日本各地での色々な災害の現状や
ボランティア活動の詳しい情報などを伝えて下さって有難うございます。
テレビでも大震災の番組を放送しているので見ております。
こちらでもイベントなどで、被災者支援の活動をしていましたが、
今はコロナ禍で、全て中止になっています。
復活したら支援したいと思っています。
miyotya さま、こんばんは。いつも感謝します。
>「こちらでもイベントなどで、被災者支援の活動をしていましたが、
今はコロナ禍で、全て中止になっています。」
そうですね。
今は、どこでも、色んなイベントが、中止になっていますよね。
早く、コロナが終息して、色んなイベントが、復活するといいですね。
全国で、災害がありましたが、どこも復興は半ばです・・・。
コロナの報道に押されて、被災地の報道が、あまり出てこないです。
また、色々、教えて下さいね。
お身体大事になさってくださいね。
いつも本当にありがとうございます。
兵庫県の丹波新聞の記者さんの記事は、ヤフーニュースでも拝見しましたが、現地の方々に寄り添い、考慮して記事を書かれていて、素晴らしいと思いました。
実は、最近、happy-ok3さんにコメントを書いたのにアップロードされてないことが2回ほどありました。
スマホで読んでコメントしているせいか、ちゃんとローディングされてないことがありそうです。すみません。
数日前、私のブログにコメントしてくださり、ありがとうございます。凍結肩のほうは少しずつ動かせるようになってる気がしますが、左肩のように動かせるようになるには、とても時間がかかりそうです。まぁ、ポジティブにセルフリハビリを続けていかねばなりませんよね。来月、ちょっとアメリカに戻るので、その時にセカンドオピニオンを聞こうと思ってます。
byronko さま、こんばんは。いつも感謝します。
>「現地の方々に寄り添い、考慮して記事を書かれていて、素晴らしいと思いました。」
本当に、その通りですね。
記者の方が、このように寄り添うって素晴らしいですね。
>「実は、最近、happy-ok3さんにコメントを書いたのにアップロードされてないことが2回ほどありました。」
書いてくださってありがとうございます。
残念なことに、見れませんでしたが・・・。
>「凍結肩のほうは少しずつ動かせるようになってる気がしますが、左肩のように動かせるようになるには、とても時間がかかりそうです。」
セカンドオピニオンの方から、よい方法がきけるといですね。
早く回復されますように。
お身体大事になさってくださいね。
いつも本当にありがとうございます。
happy-ok3様、こんばんは! いつもたくさんの素晴らしい記事に感謝します。
東日本大震災の取材、本記事のように真摯に伝えてくれる方であればいいですが、テレビ局などは番組制作の素材としてだけインタビューや撮影を行っているという話もありました。
弱者の気持ちを汲んで行動できる人、あまり多くないのですね。
そしてもう、古き良き日本人のイメージは書き換えなければならないと、強く感じています。
グローバル化なのかわかりませんが、もう他の国より勝っているとは誇れないですね。
それについては、ご時世なのかなあと諦めております。
支援について、いろいろ教えていただきありがとうございます!
困っている人はたくさんおられて、私もお金はない部類なので笑、どうしたらいいか迷っておりました。
お示しいただいた基準で合いそうなところを選んでみようと思います。
誰かの役に立てればいいですが、焼け石に水にもならないような気も。
やっぱり、国民全体の心や考え方、そして政治が良くならないとということなんですかね・・・。
今日もありがとうございました^^たつき君も毎日、「よしき君がいない」と思い出すのでしょうか。また(霊体で)会いに来てくれるといいですね。それでは、また。
MTさま、こんばんは。いつも感謝します。
>「弱者の気持ちを汲んで行動できる人、あまり多くないのですね。」
報道は・・・数字も関係してくる事がありますから、難しいですね。
>「グローバル化なのかわかりませんが、もう他の国より勝っているとは誇れないですね。」
何が原因でしょうね・・・。
何かが起きた時、その人の姿が浮き彫りになりますね・・・。
>「誰かの役に立てればいいですが、焼け石に水にもならないような気も。」
私も、大きな事は出来ません。
でも、心がこもっていれば、生かされると思います。
そう信じて、私は、微力でも、させて頂こうと思っています。
MTさまが、心を込めてされた、支援は、天がご覧になっておられます。
そして、受けとられたかたの力になっていると信じます。
たつき君、色々彼なりに、考えているのでしょうね。(#^.^#)
お身体、大事になさってくださいね。
いつも本当にありがとうございます。