悲しい戦争
8月6日(水)
『繰り返してはいけない体験は、忘れ去らてはいけない。』実祝プランニング語録
1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、アメリカ軍が日本の広島市に対して投下された原子爆弾。
この原子爆弾は、戦争の実戦で使われた世界最初の核兵器となった。
たった一発の原爆は、戦争が終わり、69年経った今でも、多くの人々に大きな傷跡を残している。
1945年の広島市の人口は約35万人。
そのうちの半数以上の方々が、被爆から2~4カ月の内に亡くなったという。
被爆されても、少し離れた場にいたため、一命を取り留めた方も少なくない。
現在84歳の切明(きりあけ)千枝子さんは、当時女学校の4年生。15歳。
たまたま、その日病院に行くために学校を休んだため、大事に至らなかった。
しかし、学校は参事となっていた。
千枝子さんは学校に駆けつけ、多くの生徒たちのご遺体を
学校の先生と焼くことになったという。
学校のそばの畑を掘り、壊された校舎の木を燃やすための、薪にしたという。
昨年、その様子を絵に描かれた。
被爆された方の現在の平均年齢は、79.4歳。
しかし、「この体験は、遺して、伝えたい。」そう仰るという。
「人は死んでも
その影響は死ぬことがない。
(マーチン・ルーサー・キング・ジュニア)」
忘れてはいけないと思う。
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