ヘレン・ケラーその5
7月10日(木)
『善意は膨らんでいく。』実祝プランニング語録
1880年生まれのへレン・ケラーは60歳を過ぎてからも、
精力的に働きを続けた。
1946年には、秘書のポリー・トンプソンとともに、
海外盲人アメリカ教会の代表としてヨーロッパを訪問した。
1948年、2度目の来日を記念して、その2年後には、
財団法人東日本ヘレン・ケラー協会(現在の東京ヘレン・ケラー協会)と
財団法人西日本ヘレン・ケラー協会(現在の社会福祉法人日本ヘレン・ケラー財団)が
設立されていった。
1955年には3度目の来日。この来日の目的の1つは、1954年に56歳の若さで亡くなった
20年にわたる友人、日本ライトハウスに尽力をした、岩橋武夫に花を手向けたかったからとか。
ヘレンは、岩橋武夫の家では、亡くなった悲しみに
泣き崩れたという。
1980年には、秘書のポリー・トンプソンが先に召されてしまう。
1984年にはアメリカ政府から「大統領自由勲章」という勲章が贈られた。
その4年後、87歳にして召された。
亡くなった後、日本の政府からも「勲一等瑞宝章」が贈られた。
これは、公共的な業務に長年従事して功労を積んだ人に、表彰する最高の勲章である。
「人々の思いやりがあれば
小さな善意を
大きな貢献に
かえることができます。
(ヘレン・ケラー)」
日本にも多くの貢献をした、ヘレンだが、
小さな頃に母親から、日本の「塙 保己一(はなわ ほきいち)の話を聴かされ
塙 保己一(1746年~1821年)をお手本にして、勉学に励んだと言う。
ヘレンより54年前に生まれた人である。
同じように、今日の、あなたの努力は、きっと誰かを励ましていると思う。
塙 保己一が生まれた埼玉県では、沿革的には1908年から
点字の学校が設立され、その学校が今、
「埼玉県立特別支援学校塙保己一学園」となり、
埼玉県で一番古い、盲、ろう、養護学校として
多くの学生を励ましている。
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