ヘレン・ケラーその4
7月9日(水)
『困難があっても、困難に打ち勝つ力がある。』実祝プランニング語録
1936年、アン・サリヴァンが70歳でこの世を去った。
この2年前の1934年には、日本人の岩橋武夫が、ヘレンの家を訪問していた。
そして岩橋武夫は日本でも、障がいを持った人たちへの働きを呼びかけたい!と
ヘレンに「日本に来てほしい」と要請した。
アン・サリヴァンは、自分が病床にいるからと、日本に行くことをためらっていたヘレンに
「日本にいっておあげなさい。」と遺言を残したという。
翌1937年に、秘書のポリー・トンプソンと来日した。
この来日は、後の「日本ライトハウス」設立のきっかけとなった。
また、日本のヘレン・ケラーとまで言われた中村久子にも会った。
「世の中はつらいことで
いっぱいですが
それに打ち勝つことも
満ち溢れています
(ヘレン・ケラー)」
アン・サリヴァンとは、実に50年も苦楽を共にした。
少し後になるが、1955年にアン・サリヴァンの伝記を出版している。
岩橋武夫が尽力した日本ライトハウスは、視覚障がい者の職業や福祉事業の展開に
現在も大きな貢献を続けている。
また中村久子は、両手、両足の切断という不幸にもめげず
自立した女性として励んだ人である。
1937年にヘレン・ケラーが来日した際に、中村久子は、
口を使って作った日本人形をヘレンに贈った。
ヘレンは中村久子に感動し、「私より不幸な人、私より偉大な人」と心底賞賛した。
彼女も、多くの悲しみや困難に負けることなく、
前向きに、進んだ人である。
誰しも困難があるが、負けずに進む力も与えられていると思う!
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