ごめんなさいが言える人は素晴らしい
3月10日(月)
『ごめんなさいが言える人は素晴らしい。』実祝プランニング語録
勇気とは、立ち向かっていくことも含まれるが、
「ごめんなさい」を素直に言えることでもある。
自分が正しくても「ごめんなさい」を言わなければならない場面もある。
または、誰かの盾になって、矢面に立たないといけない場面もある。
「ごめんなさい」が言える人は、責任がとれる人である。
ところが、いい歳をして、ご自分が間違っていても、発した言葉で人を深く傷つけても、
それらを指摘されてもなお、とぼけたり、逃げたり、
「ごめんなさい」が全く言えない人もおられる。
少々のことは、それでも誰しも目をつむったり、受け流す。
しかし、人の命に関わることにおいて、周囲が傷つくことを、無意識に言う人がいる。
言った本人は、悪いという意識がない。
指摘されても悪いと思わないし、
謝る必要もないと思うのか「ごめんなさい」は言わない。
無意識とは、その人の本当の姿でもある。
その他、思いやりのない言葉を平気で発する人はおられる。
だからと、傷ついて自分が怒り続けることや、
落ち込み続けることは、自分の勇気を削ぐことにつながる。
そのなかで、自分は自他共に善いと思う行動を、続けて、笑顔でいること。
酷いと思う相手に、振り回されないことだ。
「ごめんんさい」を心から言えない人は、
心からの「ありがとう」も少ないと思う。
悲しいことだと思う。
誰でも、失敗はある。
それを認めて、思いやりを届けることが出来る人は、日々成長していける。
成長とは、賢くなっていくこと。賢いとは、思いやりが深くなることにつながっている。
「間違っていましたと認めるのを恥じる必要はない。それは、言い換えれば、
今日は昨日より賢くなったということなのだから。
(アレグザンダー・ポープ 英国の聖職者)」
実行・行いが大事。
笑顔につながっていくことだから。
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