与える喜び

3月6日(木)

『与える喜びを知っている人は幸いな人。』実祝プランニング語録

与えるとは、贈与つまり、相手様への贈り物なのだ。

また、与えるとは、物や寄付のお金だけではない。

教える事も、相談に乗る事も、励ます事も、見舞うことなど、自分に出来うることを相手の為に

心から相手が喜ぶため、役立つために行う行為も「与える」ことに含まれる。

さて、ソチ・オリンピックが終わったが、一流の選手の陰には、一流の教え人が存在している。

メダルを取っても、脚光を浴びるのは、メイン・コーチくらいである。

しかし、その後ろには、影になって、名前もでないが、その道では一流の人達が

自分の全てを与えて、支え指導してきたのだ。

本気で教えられる人というのは、与える喜びを知っている。

逆にいくら知識や技術があっても、教えられない人がいる。

それは、相手に与える事を「損」と思い、相手を尊ぶことが出来ないからかもしれない。

与えて減るものでもない。

何かを教える人が、お金をもらいつつ、いい加減に、相手が悲しむ教え方をしているなら、

「与える」どころか「与える逆」なのである。

物でも同じである。

そこには心が伴うからだ。

1995年の阪神・淡路大震災で、淡路島から比較的近い地域にいて、その頃40歳を過ぎていた方が、

その様子に興味がなかったのかもしれないが、震災に遭った知人が、昨年18年前のそのことを語ると、

あわててネットで検索したとか。

では、本気で義援金や物資も提供していかれただろうか?

震災に遭った知人は、その後も震災のマイナスを撥ね退け、

多くの方々に出来うる事を続けている。

「与えることは最高の喜びなのだ。 
 
 あなたのかかわり方によって、それは変わってくるのだ。(ウォルト・ディズニー)」

与える事は素晴らしいことなのだ。

けれど頭の理解では理解できない。

小さい頃からの、体験も大事だと思う。

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