失敗からの立ち直り イゾベル・クーンその4 

11月6日(日)
『失敗や弱さの中に、大きな力は現れる。』実祝プランニング語録

フレイザー宣教師は「あなたは宣教師になりなさい。」とはイゾベルには言わなかった。「宣教師は孤独だ。」それをしきりに言った。

しかし、イゾベルの決心は固く、もうその年には教師を辞めて、宣教師になるべく、シカゴの聖書学院に入学した。

イゾベルは優秀だったようで、卒業のスピーチをすることになった。
ところが、珍しくあがってしまい、式辞の声が震えてしまった。

栄えある卒業式を自分の失敗で台無しにしたと部屋に戻ってから泣き出してしまった。
そのとき、自分は弱い者だと本当に理解できた。

そして、そんなイゾベルに大きな存在である神は聖書の申命記・33:12の言葉で彼女を励まされた。
『主に愛されている者、彼は安らかに主のそばに住まい、主はいつまでも彼を庇う。彼が主の肩に住むかのように。』

人は失敗をする。その失敗を悔い改め乗り越えて頑張っている者たちを、その失敗の中に再度引き戻すような人達がいるようだ。

昔から聖書にいるような、パリサイ人と呼ばれる、「自分は潔白な人生を送っているんだ!脱落者は責めていじめて当然!」
そのようなクリスチャンや聖職者が、悲しいかな増えているとは聞いた。

また、クリスチャンで無い人達に対し、「あの人達はノンクリ(クリスチャンでない)だ。」といって差別?区別?する人もいると聞いた。

優越感をそこにしか見出せない悲しい人達ではないのか?

さて、イゾベルは聖書学院で一緒だったジョン・クーンという青年はイゾベルに結婚を申し込む手紙を出していた。

しかし、イゾベルはジョンも同じ中国への熱意を持っていることは知っていたが、自分はリス族への情熱がある。だから、ジョンが中国でも宣教団から別の場所に遣わされるなら、止めようと考えた。

さて、詩篇86:11の前半では大きな存在に自分の行く手を聞いている。
『主よ。あなたの道を私に教えてください。私はあなたの真理のうちを歩みます。』
それが祈りという形でもあるのだろう。
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